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美術館訪問記 - 674 聖ロンバウツ大聖堂、Mechelen

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:オーストリアのマルガレータ女王像

添付2:メッヘレン市庁舎

添付3:聖ロンバウツ大聖堂外観

添付4:聖ロンバウツ大聖堂内部

添付5:アンソニー・ヴァン・ダイク作
「十字架のキリスト」

添付6:ヴァン・ダイク作
「15歳の自画像」
ウィーン美術アカデミー絵画館蔵

添付7:ヴァン・ダイク作
「チャールズ1世の肖像」
ルーヴル美術館蔵

添付8:ミヒール・コクシー作
「聖ゲオルギウスの殉教」

添付9:聖ロンバウツ大聖堂ステンドグラス

次の町はブリュッセルから北へ約27kmの場所にあるメッヘレン。16世紀初め、オランダとベルギーが一つの国、ネーデルランドだった時代に、その首都だった町です。

そのときの統治者がオーストリアのマルガレータ女王。彼女が治めていた時代は、ヨーロッパの中心地として政治、経済、文化の中心を担い、大変栄えていました。町の中心グローテ・マルクト広場の一角に彼女の像が鎮座しています。

石畳で覆われた広々とした広場を取り囲むのは童話の世界のような建物ばかり。広場の南東には市庁舎、反対の北西には「聖ロンバウツ大聖堂」があります。

13世紀から300年の歳月をかけて建設されたゴシック様式の聖ロンバウツ大聖堂は、街のシンボル的存在で、8世紀頃にメッヘレンにやって来てキリスト教を布教した聖ロンバウツに捧げられたため、その名を冠しています。

聖ロンバウツ聖堂の鐘楼は、高さ97mあり、街のどこからでも見ることができます。鐘楼には、49個の鐘からなるカリヨンが2組みあり、15分ごとに音を奏でます。

大聖堂近くには、王立のカリヨン学校があり、生徒たちは大聖堂のカリヨンで練習するため、タイミングが合えば生徒たちが奏でる美しい音色を聴くことができます。

大聖堂内は太くて白い列柱が林立し、どの柱にも聖人像が施されています。

アンソニー・ヴァン・ダイクの祭壇画「十字架のキリスト」がありました。

ヴァン・ダイクは何度も名前を出して来たのですが、まだ説明していませんでした。

アンソニー・ヴァン・ダイクは1599年、アントワープの裕福な家の生まれで、幼い頃から絵画の才能を発揮。「15歳の自画像」でもわかるように若くしてすでに卓越した技術を身につけ、16歳で自分の工房を開くほどでした。

翌年当時絶大な人気のあったルーベンスの工房に助手として入り、ルーベンスの右腕として5年間活動。1621年にはイタリアへと居を移し、6年の間イタリア人巨匠たちの作品を研究し、優れた肖像画家としての名声を確立します。

1632年にイギリスに渡ると、チャールズ1世の宮廷画家として仕え、ナイト称号と200ポンド(約5千万円?)の年金、主席宮廷画家の地位を授与されます。

ロンドン中心部に邸宅兼工房を与えられ、王族以外使用禁止だったエルサム宮殿の続き部屋も静養所としてヴァン・ダイクに提供されています。

ヴァン・ダイクの工房には国王夫妻がよく訪れ、後に国王夫妻専用の道路が敷設されるほどでした。このような厚遇を受けた画家は他に存在しません。

チャールズ1世はイギリス歴代君主のなかでも特に芸術に興味を示し、美術品を収集し、美術品は自身の威厳を増大することに寄与すると考えていた国王でした。

1635年頃ヴァン・ダイクが描いた「チャールズ1世の肖像」では、身長150㎝に満たなかったというチャールズ1世を、彼の背の低さを感じさせないような様々な演出で威厳を見せて描いています。

馬は低く頭を垂れ、実物よりも小さく描かれ、使用人たちを後方に配して小さめに描き、チャールズ1世はこちらに肘を張ったポーズで近寄り難い印象を強め、他のものが影の中に沈んでいるのに対し、王のみが明るい光を浴びて浮かび上がり、眼下の広い世界を支配していることを象徴するかのような肖像画に仕立てています。

このように、肖像画を適切に演出し、人物を風景と組み合わせて、対象人物と絵の魅力を高める彼の手法はこの後、イギリス絵画に継承されていきました。

ヴァン・ダイクは1639年、王妃付き女官で貴族の娘だったメアリー・ルースヴァンと結婚し、娘に恵まれますがその10日後に本人は原因不明の重病で死去。享年42。

聖ロンバウツ大聖堂の内部には他にも、メッヘレン生まれで93歳の長寿を全うし、「フランドルのラファエル」とも呼ばれた画家ミヒール・コクシー(1499-1592)の祭壇画「聖ゲオルギウスの殉教」などの絵画と、美麗なステンドグラスがあります。