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美術館訪問記 - 672 聖ペテロ教会、Leuven

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:聖ペテロ教会外観

添付2:聖ペテロ教会内部

添付3:ディルク・バウツ作
「最後の晩餐」多翼祭壇画

添付4:同上右端部分

添付5:ディルク・バウツ作
「聖エラスムスの殉教」

添付6:ロヒール・ファン・デル・ウエイデン追随者作
「キリスト降架」

添付7:聖ペテロ教会向かいのルーヴェン市庁舎

添付8:ルーヴェン市庁舎正面

ルーヴェン市の中心にある市役所と向き合うように建っているのが「聖ペテロ教会」。

1497年に実質的な完成をみたゴシック様式の教会で、ゴシック建築らしく、教会内部には太い柱が天井まで伸びて、ランセット(柳刃状)窓で飾られています。

ここの白眉はディルク・バウツの多翼祭壇画「最後の晩餐」。ディルク・バウツは前回名前だけ出してまだ説明していませんでした。

彼もほとんど情報のない画家ですが、1410年頃ハーレムで生まれ、おそらくロヒール・ファン・デル・ウエイデンの下で修業した後、ルーヴェンに落ち着き、1448年に裕福な家の娘と結婚した記録は残っています。1475年に亡くなるまで初期フランドル派の画家としてルーヴェンで活動しました。

二人の息子、ディルク・バウツ子(1448-1491)とアルブレヒト・バウツ(1452-1549)は画家になっており、兄の作品はほとんど残っていませんが、アルブレヒトは当時では異例の長寿を全うしたこともあり、世界各地で彼の作品が観られます。

「最後の晩餐」はルーヴェンの聖餐同心会の依頼を受けて1464年から1468年にかけて描かれており、イタリア人画家マザッチョが発見した透視図法を北ヨーロッパでは早期に使用した作品です。

この絵では遠近法を用いて室内が表現され、絵画の中心はキリストの頭の上で交差している暖炉の扉の十字に設定されており、それによって観る者の視線は、祝福するキリストに自然に引き付けられるのです。

キリストは12人の弟子とテーブルを囲み、復活祭の子羊を食べ終え、聖餐の儀式をまさに行おうとしています。キリストの右には聖ペテロ、左には若い聖ヨハネが白いコート姿で座っています。

キリストを売り渡すことになるユダは左手を腰の後ろに回させることで、他の11人の敬虔な姿勢から浮き上がらせています。テーブル・クロスがユダの場所で乱れているのも象徴的です。

画面左手後方の4人は注文主のルーヴェン聖餐同心会のメンバーと考えられ、画面右端には作者のディルク・バウツが立っています。

左右のパネルには食事に関連する旧約聖書内の挿話が描かれています。

左翼上方にはエルサレムの王がアブラハムにパンとワインを差し出す様子が、その下には、過越の晩餐を、人びとが立ったまま慌ただしく食べている様子が、右翼上方にはマナ(神から与えられた特別な食物)を拾い集めるユダヤ人たち、下方には砂漠で眠るエリヤにパンを与えようと揺り起こす天使が、描かれています。

この教会にはもう1点ディルク・バウツの手になる祭壇画「聖エラスムスの殉教」があります。

エラスムスは現在はトルコにあるアンティオキアのキリスト教の司祭でしたがローマ皇帝ディオクレアヌスによって、絵で見るように、内臓をウインチで引き出されるという残酷な方法で殉教したと伝えられています。

真偽はともかくとして15世紀にエラスムスが聖人に列せられると、聖エラスムスの殉教話は特に北ヨーロッパで好んで採り上げられたのでした。

処刑道具がウインチとアンカーだったので、聖エラスムスは船乗りの守護聖人になっているというのは、いささかブラック・ユーモアめいていますが。

他にもロヒール・ファン・デル・ウエイデン追随者の「キリスト降架」あり。

聖ペテロ教会向かいにある市庁舎はフランボワイヤン・ゴシック様式のヨーロッパでも指折りの美しい建物。「石のレース」と呼ばれる建物の正面には聖書や町の歴史からテーマを取った彫像が236点飾られています。

236人の彫像は実在した君主、芸術家、政治家、職人などで当時の衣装を身にまとっています。この建物は15世紀半ばに建てられ、街中の建物が壊された第一次世界大戦でも、奇跡的に残ったのでした。