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美術館訪問記-67 ルノワール美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:「ルノワール美術館」外観

添付2:バジ―ル作
「バジ―ルのアトリエ」
オルセー美術館蔵
画面左端がルノアール、隣がモネ、  
中央帽子の男がマネ、隣の長身がバジ―ル

添付3:ルノワールのアトリエ

添付4:「ルノワール美術館」敷地内にあるオリーブの巨木と
カーニュ・シュル・メール風景

添付5:庭にあるルノワールとリチャード・ギノの共作彫刻
「豊饒のヴィーナス」

ルネサンス期の画家や彫刻家の話が続きました。話を近代に戻しましょう。

フランス、ニースから西南へ10kmほどの所に カーニュ・シュル・メールという田舎町があります。

この街の高台にピエール・オーギュスト・ルノワールが66歳時の1907年から死亡 する1919年までを過ごした自宅が「ルノワール美術館」として公開されています。

ルノワールは仕立屋の息子でしたが13歳で陶器の絵付け職人の見習いとなり、 仲間達からルーベンス君とあだ名で呼ばれる程の画才を発揮しますが、 産業革命で絵付けの機械化が進み、失業してしまいます。

画家になるべく21歳で国立美術学校へ入学。10月からはシャルル・グレールの 画塾にも通い始め、ここでやがて印象派の同志となるモネ、シスレー、バジールと 知り合い、裕福だったバジ―ルの広いアトリエに同居させてもらいます。

彼等は更にピサロ、セザンヌ、マネ、ドガ等とも親交を結び、印象派絵画を育む ことになります。イギリスに逃れたモネとイギリス人のシスレー以外は 1870年普仏戦争に招集されますが、バジ―ルは戦死してしまい、 ルノアールは大切な友人兼援護者を失ってしまいます。

フレデリック・バジ―ルは29歳で夭折したため作品数も少なく、 余り知られていませんが、印象派の中では高度の教育を受けた頭脳明晰な人物で 画才もあり、モネなどは「最高の画家になる全ての資質を持っている。」と 称えたほどでリーダー的存在でした。

バジ―ルの死には仲間と共に、衝撃を受けたルノアールでしたが、 1874年の第1回印象派展に参加し、以後第7回まで計4回参加しますが、1881年 イタリア旅行でラファエロ等の古典に触れ、光の効果のみを追求する印象派の手法 に疑問を持ち始め、古典的な手法も取り入れた模索期に入ります。

1890年、10年前から同棲し、1885年には長男ピエールを産んでいたアリーヌと 正式に結婚した頃から、彼の絵から硬さが消え、みずみずしい生命感や のびやかな幸福感、明るい色彩の溢れる、彼自身のスタイルを完成します。

その後持病のリューマチ治療のため、パリを離れ南仏のカーニュ・シュル・メール で暮らしていた時、古くからのオリーブの木の茂るレ・コレット(小さな丘) と呼ばれる広大な土地が伐採されてしまうと聞き、その地を購入。

オリーブは残して、自宅を建て、果樹園や畑、庭園を造り、 妻のアリーヌと3人の息子、アリーヌのいとこで、晩年のルノワール作品800近く のモデルを務めたガブリエル等と賑やかに暮したのです。

また社交的だったルノワールの友人や彼を慕う人々も訪れました。 画商のヴォラール、 画家仲間で後にカーニュ・シュル・メール市長になったデコンチ、 ルノワールの精神的息子とも言える画家のボナールとアルベール・アンドレ、 収集家で初めてルノワール作品購入後すぐルノワールの大親友となったモーリス。 彼はルノワールの作品を生涯にかけて163点も購入しました。

ピカソがルノワールに「法王」とあだ名をつけたように、 沢山の画家達もルノワール詣でにやってきました。 その中にはマティスやモディリアーニ、ヴュイヤール、 マイヨール等も含まれました。

フランス留学中の梅原龍三郎がやってきて、 すっかりルノワールの虜になってしまったのは有名ですね。

ルノワールの死後、土地と家は三男のクロードが相続したのですが、 1960年に市に売却。市は家を美術館として公開しました。

家の中はルノワールが生活していたままのように保たれています。 2階のアトリエもイーゼルの前にルノワール愛用の車椅子が置かれ、 主の使用を待っているかのようです。

15ある各部屋にはルノワールの絵画が飾られ、 2001年に我々が訪れた時には24点ありました。全部本物です。 そのほかにもボナール、デュフィ、アルベール・アンドレ、 マイヨールと彼の弟子リチャード・ギノの作品も見かけました。

ルノワールは生涯に15点ほどの彫刻作品を残しました。 そのほとんどが、晩年リューマチで手の自由がきかなくなっていた ルノワールに代わって実際に制作に携わった 彫刻家リチャード・ギノかルイ・モレルの作です。 勿論、ルノワールが細かく指示を出していたようですが。

リチャード・ギノとアルベール・アンドレにはルノワールの生存中、 ルノワールの家ではそれぞれ1部屋が専用に与えられていました。

世界各地の美術館にルノワール作として展示されている彫像は、 実はルノワールとギノあるいはモレルとの合作が大半で、 ルノワール美術館では正しくそう表示された彫刻が家の内外に10点ありました。

その内の1点、高さ180cmの「豊饒のヴィーナス」が 庭先で南仏の陽光を浴びていたのが目に残っています。

(* 添付6:アルベール・アンドレ作「アトリエで家族を描くルノワール」 は著作権上の理由により割愛しました。管理人)

美術館訪問記 No.68 はこちら

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