次の町はダインゼ。ゲントの西18㎞余りの場所にあり、人口4万5千人足らず。この町を貫通するレイエ川のほとりに「レイエ地方ダインゼ美術館」があります。
中に入ると普通なら2階以上あるような高い天井の平屋のコンクリート造りで、中央部に開放部分の多い中2階を設けてあり、そこにも作品を展示すると共に、1階に展示された作品を違った角度からも見えるように工夫されています。
19-20世紀のベルギー絵画中心の展示で興味を引くものが多かったのですが、これまで紹介できなかった画家二人を採り上げましょう。
先ず前回名前を出したグスターフ・ファン・ド・ウーステイン。
彼は1881年ゲントの生まれで父は実業家で兄は詩人となるカレル。14歳でゲントの王立美術学校に入り、4年間学んだ後、ゲントとダインゼの中間にあるシント=マルテンス=ラーテムに家族で移り住みます。
現在ヨーロッパの美しい村30選にも入っているこの村は、当時ベルギーを代表する彫刻家のジョルジュ・ミンヌを中心に芸術家村が形成されていて、グスターフもミンヌの影響を受けラーテム派と呼ばれる芸術家グループの一員となります。
グスターフは早くから認められ、アムステルダムやハーグ、ヴェネツィアなどで開催された国際的な展覧会にも参加しています。
第一次世界大戦が始まると既に結婚していたグスターフは家族でイギリスに逃れ、終戦後ベルギーに戻り、1925年からメッヘレンの美術学校の校長となり、アントワープ王立芸術学院やブリュッセルの高等工芸学校でも教授を務めます。
1928年から前回のビューレン夫妻の後援を受け、1939年には夫妻の家の近くに引っ越しています。1947年同地で没。
ヴァン・ビューレン美術館はグスターフ作品の世界最大のコレクションを誇り、同美術館の初代館長はグスターフの娘が務めました。
グスターフは主に表現主義的な作品を制作しましたが、象徴主義的な作品や写実的作品、時にはキュビスム、シュルレアリスム的作品も残しています。最初に描いた順から3作品を添付しましょう。
二人目はベルギー印象派を代表する画家、エミール・クラウス。
彼は1849年、フランドル地方の小村の生まれで、幼少時から絵画好きでしたが、父親は画家になるのを認めずフランスのパン屋に奉公に出します。
フランス語は身についたものの画家の道を諦めきれないエミールは両親が親交のあった著名作曲家のペーテル・ブノアに手紙を書き、説得を依頼。父親も承諾し、エミールは20歳でアントワープの王立美術学校に入学。
1874年美術学校卒業後、ゲントやブリュッセルの展覧会に出展し、高く評価された。初期には暗い色調のスタイルの人物画や風俗画を描いていました。
1882年パリのサロンに作品を出品し、数年間、冬の間パリに滞在して、アンリ・シダネルや印象派の画家と出会い、特にモネの影響を強く受けます。
それ以降、彼の作品は印象派や新印象派の技法を加えたものとなり、その光の瑞々しい表現は「ルミニスム(光輝主義)」と呼ばれました。
画家として、経済的に安定し1883年にダインゼ近郊に邸を買い、1924年に同地で没するまで近辺の農村風景やそこに暮らす人々を好んで描き続けますが、彼らの内面をも描き出すような、愛に溢れた目線がそれらの作品から感じられます。
この美術館にはエミールが死ぬまで手元に置き、死後未亡人により寄贈された「ビートの収穫」始め、彼の油彩画17点が展示されています。
1890年作の「ビートの収穫」は320 x 480cmの大作で、パリとミュンヘンのサロンで金賞を獲得した、彼の名声を決定づけた作品です。
彼は多くの弟子を育てましたが、その中には、当時流行のパリではなくベルギーを留学先に選んだ日本人画家、児島虎次郎と大田喜二郎も含まれます。