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美術館訪問記 - 667 オルタ美術館、Bruxelles

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:タッセル邸正面 写真:Creative Commons

添付2:旧ベルギー2000フラン

添付3:オルタ美術館正面

添付4:螺旋階段 写真:Creative Commons

添付5:下から見た天井窓 写真:Creative Commons

添付6:階段上の天井窓 写真:Creative Commons

添付7:バルコニー 写真:Creative Commons

添付8:オルタがデザインしたテーブル 写真:Creative Commons

添付9:オルタ美術館のドアノッカー 写真:Creative Commons

前回のムーニエ美術館から北西に1㎞余りの所に「オルタ美術館」があります。

ヴィールツ美術館やムーニエ美術館同様、ベルギーのアール・ヌーヴォーの第一人者ヴィクトール・オルタの住宅兼アトリエだったものです。

アール・ヌーヴォーとはフランス語で新しい芸術を意味し、19世紀末から20世紀初めにかけて、都市化と産業化を背景に、フランスとベルギーを中心に広まった国際的な芸術運動・様式です。

アール・ヌーヴォー最盛期の1895年、日本美術商ジークフリート・ビングの店の内装を手掛けたベルギー人ヴァン・ド・ヴェルドの独特の装飾が大変な人気を呼んだのですが、この店名が「アール・ヌーヴォー館」。それがそのまま芸術様式名となったのです。

この様式は建築や絵画、工芸、グラフィックデザインまで、幅広いジャンルで流行しました。花や草木などの有機的なモチーフや曲線を組み合わせて生み出す装飾性と、鉄やガラスといった新素材の利用を特徴としています。

家具調度品などの工芸の分野では、エミール・ガレやルネ・ラリックがガラス工芸などによって名を馳せ、また建築の分野ではアントニ・ガウディ、ベルギーの建築家ヴィクトール・オルタが挙げられます。

20世紀に入ると、この様式は急速に衰えて行きます。堅固な構築性や機能性、合理性がより求められ始めたからです。

しかしその耽美的な魅力は、今もオルタ美術館を始め、ベルギーの町のあちこちやフランスのパリ、ナンシーなどで見ることができます。

ヴィクトール・オルタは1861年にゲントで靴屋の家に生まれます。ゲント芸術学校で学んだ後1878年、パリ、モンマルトルに移り住み、インテリアデザイナーとして働きますが、父の死で2年後帰郷。

ブリュッセル王立美術アカデミーに入学するとともに、古典主義建築家のアルフォンス・バラの設計事務所で助手として採用され、産業革命後の新建築材料、鉄とガラスで構成される ラーケン王室温室 設計に携わった経験は、その後のオルタの建築設計に大きな力となりました。

1885年独立し、個人の住宅設計を手掛けます。1892年出かけたアール・ヌーヴォー展覧会で、その魅力にすっかり魅了されます。

この時に受けたインスピレーションを余すことなく盛り込んで建てたのが、現在ユネスコ世界遺産にも登録されているタッセル邸です。そしてこれが最初のアールヌーヴォー建築となりました。

オルタの元には次々とブリュッセル中の重要な建築物の設計依頼が舞い込みます。オルタがその後のベルギー建築界に与えた影響は絶大で、その事は、ベルギーフランに肖像画が使われた事からも推察されます。

オルタ美術館はオルタ37歳の時建設した自宅で、彼の考えが見えて面白い。住居とアトリエは完全に分離していてファサードも別々。2棟を1階と中2階の連絡路だけが繋いでいます。

オルタの芸術的感性が最も充実していた時に建築されただけにアール・ヌーヴォーを特徴づける「波形」「しなやかな曲線」「曲線の集合による流動的な美」がふんだんに駆使されています。

アール・ヌーヴォー建築はトータル・デザインです。すべての階のすべての部屋の、すべての窓、ドア、床、壁、机に椅子、トイレの便器や洗面台、ストーブ、食器、ドアノッカーに至るまで、家の内外のすべてがアール・ヌーヴォー尽くしです。

残念ながらここは撮影禁止で写真はWikipediaから借用しました。