「世紀末美術館」はベルギー王立美術館の地下4階から地下8階までを占めます。地下8階までの美術館というのは他に知りません。連想するのは地下5階まである第95回のルクセンブルク国立歴史・美術博物館ぐらいです。
2013年開館のこの美術館の展示品は、ブリュッセルに自由美術協会が結成された1868年から第一次世界大戦の始まる1914年までの作品です。
ベル・エポックと称され、芸術文化が爛熟し進化を見せたヨーロッパの19世紀末。ベルギーも象徴主義、表現主義、アール・ヌーヴォーと新しい芸術運動が展開し、ブリュッセルは国際的な才能が行き交う十字路になります。
特に1883年にブリュッセルで発足した前衛美術集団「二十人会」の展示会が新時代を代表するベルギー人芸術家と、フランス・オランダなど国外の有力作家たちが作品を発表する場として機能します。
多様な美意識が入り乱れる世紀末をテーマにまとめた美術館内には二十人会の主要メンバーだったジェームズ・アンソールとフェルナン・クノップフの作品が中心に展示されていました。
特にアンソール作品は17点あり、彼については第145回を参照してください。
彼が修行中の20歳時の作品「彩色者」と、現実の世界に潜む醜さを容赦なく暴くこれぞアンソールという32歳時の作品「奇妙な仮面」を添付しましょう。
フェルナン・クノップフは1858年ベルギーの裕福な家庭に生まれ、ブリュージュで幼少期を過ごした後1864年ブリュッセルに移住し、17歳で大学の法学部に入学。しかし興味が持てず、翌年秋ブリュッセル王立美術アカデミーに入学しなおします。アカデミーではアンソールと知り合っています。
1878年パリに移住し、フランス象徴主義のモローやラファエル前派のバーン=ジョーンズらと親交を結び、次第に象徴主義に傾倒していきました。
1880年にはブリュッセルに戻り、二十人会の設立メンバーの一人となり、次々と作品を出品しながら自身の様式を確立して行きます。
1893年の二十人会解散後は、定期的にイギリスへ赴きラファエル前派の画家たちと交友を重ねるほか、グスタフ・クリムトを頂点とするウィーン分離派とも関係を深め、1898年、第1回ウィーン分離派展へ傑作「愛撫」を出品、クリムトの作風形成にも影響を与えたと考えられています。
20世紀に入ると、ベルギー象徴主義の代表的存在として名声が確立し、画壇に確固たる地位を得て、ベルギー最高のレオポルド勲章を受章するものの、1921年にブリュッセルで死去しています。
彼の作品は13点展示されていましたが、その内、彼の最愛の妹で絵のモデルは特定の人物の肖像画以外全て彼女というマルグリットの肖像画と「愛撫」を添付しましょう。スフィンクスの顔もマルグリット。
二十人会展に出品したことのある外国人画家達の中からはバーン=ジョーンズの「プシュケの結婚」、ゴーギャンがタヒチの最初の滞在中に描いた「スーザン・ベインブリッジ」ボナールの最高傑作「光の中のヌード」、世界に4点しかないムハの貴重なブロンズ像「自然」を添付します。
アール・ヌーヴォーの家具やガレのガラス器なども展示されていました。