次の都市はブリュージュ。現在日本語表記はオランダ語読みのブルッヘになっていますが、馴染みあるブルージュで通します。
首都ブリュッセルの北西90㎞程にある人口12万人足らずの観光都市で、これまでに「聖母教会」と「メムリンク美術館」をカバーしてきました。
その聖母教会のすぐ北にあるのが「グルーニング美術館」。
ここはフランドル絵画の宝庫です。何しろヤン・ファン・エイクやペトルス・クリストゥス、ハンス・メムリンク、ヒエロニムス・ボス(模写?)、ヤン・プロボースト、ヘラルト・ダフィットなどが勢揃いするのですから。
ヤン・ファン・エイク(1390頃‐1441)は、初期フランドルの画家で、神の手をもつ男と称えられたほど卓越した手腕を発揮し、輝きのある鮮やかな色と、精密な細部描写という油彩画技法を完璧なものにした、歴史上最初の人物なのです。
彼が絵画に与えた革新は、ルネサンスに匹敵するものがあり、油彩画技法の確立を筆頭として、超写実とも言えるリアルな絵画を創出したのも、3/4の向きで一般人の肖像画を描いたのも、作品に署名と日付を書き込んだのも、商人やブルジョアの肖像画を描いたのも、ヤンが最初というのです。
ヤン・ファン・エイクの作品を前にすると、第170回で詳述した「ゲントの祭壇画」を目にした時の興奮が蘇って来るのですが、ここにある「ファン・デル・パーレの聖母子」も勝るとも劣らない名画です。
中央に荘厳な玉座の聖母子。画面左には、寄進された聖堂の守護聖人、聖ドナティアヌスが豪華な祭服を纏って立ち、右には、寄進者の守護聖人、聖ゲオルギウスが、兜を脱いで挨拶しながら、老眼鏡と聖書を持って跪く寄進者のファン・デル・パーレを左手で紹介しています。
寄進者ファン・デル・パーレの視線が、聖母子や聖人たちではなく、あらぬ方角を向いているのは、この情景が現実ではなく、彼の幻視だからなのです。
ヤン・ファン・エイクは幻視を超現実であるかのように、細部の細部まで全て精緻に、質感も見事に驚異の表現力で描きこんでいます。
聖ゲオルギウスの甲冑や兜には、画中には見えない手前の窓からの光と聖母子が何重にも映り込んでいます。
聖人や貴族たちが身につけている豪華な衣装も、金糸が織り込まれた布地が白や黄色の絵の具で描かれているのです。
この時代は金色は金箔で表現されるのが普通でしたが、金箔だと平坦な画面になってしまいます。ヤンの描く服は、皺もていねいに描き込まれ、その中の肉体の量感を感じさせます。
ヤンは古典や幾何学などにも精通し、1425年から仕えた、当時大きな権力と政治的影響力を持っていた、ブルゴーニュ公フィリップ3世は、ヤンを寵愛し、個人的にも親交が深く、「彼ほど技量と学識に秀でた画家はいない」と重用し続けました。
ヤンには当初から桁外れの給与を支払い、その後二度もそれを倍増させ、ヤンの子供の名付け親にもなっています。
1441年、ヤンが住まいとしていたこの地、ブリュージュで死去した際には残された妻のマルガレータがヤンの年間給与と同額の360ポンドを弔慰金として受領と記録にありますが、現在価値にすると1億円は下らなさそうです。
この美術館にはそのマルガレータの33歳時の肖像画もありました。画家の配偶者が描かれた西洋絵画作品としては最も初期の作品と言えます。
髪は当時流行の角型にまとめられ、市松模様のヘアネットで押さえられています。襞飾りの付いた髪飾りの白いハイライト、薄暗い背景、深紅の胴着が彼女の落ち着いた表情と調和して静謐なハーモニーを醸し出しています。
ヤンが1434年に描いた西洋絵画史上最初の風俗画と言われる「アルノルフィーニ夫妻像」の花嫁も同じ髪形をしていますね。風俗画は、市井の名もない人々の日常生活を描き出す絵画です。
ハンス・メムリンクの「モレールの三連祭壇画」は彼の宗教画の傑作であり、同時に肖像画家としての彼の才能を見事に示している作品です。ネーデルランドの大家族を描いた最初期の作品でもあります。
祭壇画の中央には巨人クリストフォロスが描かれています。
クリストフォロスとは「キリストを背負ったもの」という意味で、人々に奉仕するために、人を背負って川を渡らせていた巨人の彼が、ある日、キリストを背負って渡らせてあげた、という伝承に基づくものです。
左翼にはこの祭壇画の寄進者のウィレム・モレールと息子たち、及び守護聖人、右翼にはウィレムの妻と娘たち、及び守護聖人が描かれています。
グルーニング美術館は、ベルギーの絵画作品を極めて幅広く、数多く収集しており、その魅力をほぼ余すところなく堪能できます。
オールド・マスターだけでなく、新古典派の作品、フランドル表現主義の作品、クノップフのベルギー象徴主義作品やデルヴォー、マグリットのシュールレアリスム作品なども展示されていました。
(添付9:デルヴォー作「静穏」は著作権上の理由により割愛しました。
長野さんから直接メール配信を希望される方は、トップページ右上の「メール配信登録」をご利用下さい。管理人)