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美術館訪問記 - 654 ミドルハイム野外彫刻美術館、Antwerpen

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ミドルハイム野外彫刻美術館入口

添付2:ミドルハイム野外彫刻美術館地形図と主要展示品場所

添付3:ブールデル作
「弓を引くヘラクレス」

添付4:マイヨール作
「川」

添付5:ザッキン作
「不死鳥」 写真:Creative Commons

添付6:ルノワール作
「ヴィーナス」 背後に見えるのがカフェ

前回の彫刻つながりで次は市の南部にある「ミドルハイム野外彫刻美術館」。

広大なナハテハーレン公園内にある野外彫刻美術館で、広さ30ヘクタール、約9万1千坪。東京ドーム6.4個分にもなります。

公園の中程を横に貫く2車線の道路で2分されており、北側の中ほどに入口があります。秋に撮った最近の写真がボケていたので冬時に行った昔の写真を使用しますが、現在の筆者はこれより18年老けています。

1950年に開館したのですが、それには面白いエピソードがあります。

この公園では1950年6月に、1900年から1950年までに作成された彫刻の国際的な展覧会が開かれ、その時開会の祝賀を述べた彫刻家のオシップ・ザッキンが、開催したアントワープ市長に言った言葉が「これらの美の全てがこの地を去った時貴方は孤児になったように思うでしょう」

その言葉を暫く胸の中で温めた市長は展覧会終了の1か月後に市議会にミドルハイム公園を恒久的な野外彫刻展示場とする事を提案し、即決されたのです。

それにはアントワープが世界初の野外彫刻美術館を開館するという政治的、また観光収入の増大につながるという経済的狙いがあったことは勿論でしょう。

所蔵品は世界中の彫刻家からの寄贈もあって増え続けているようですが、2022年初の段階で1800点以上。その80%以上は室内展示で残りが野外にあります。

ホームページから野外展示されている主要作品のマップが入手できます。

公園に足を踏み入れると木々に囲まれた芝生の広がる広場にブールデルの「弓を引くヘラクレス」が鎮座していました。

ギリシア神話の英雄ヘラクレスが怪鳥ステュムパリデスを退治すべく、まさに矢を放とうとする瞬間を的確に捉えた作品で、緊張感溢れる見事な肉体表現は眼に見えぬ弦まで存在しているかのよう。

ブールデルは1893年、ロダンのアシスタントになり、1900年「アポロンの頭」を作って独立するまで共同制作を続けました。1909年作製のこの作品で彼の名を不動のものとしたのです。

マイヨールの「川」がここにもありました。

マイヨールが1934年、73歳の時にモデルとして雇い、その後82歳で死亡するまで彼のミューズとして彼女の作品を作り続けた、ディナ・ヴィエルニをモデルに彼の死の前年発表したものです。

第2次大戦のさなか、時代の波に押し流されていく人間の恐怖を表したものですが、見たことのない独創的なフォルムと重量感で、マイヨールの芸術に引き込まれます。

この野外美術館の立役者ザッキンの作品も勿論あります。

ロシア生まれのザッキンは1905年、15歳の時に母親の実家のあるイギリス北部サンダーランドの工芸美術学校で造形を学び、ロンドンの大英博物館で古典彫刻に感銘し、彫刻家を志すようになります。

1909年パリに出、エコール・ド・パリを形成する外国人芸術家たちが多く住む「ラ・ルーシュ」(蜂の巣)と呼ばれる集合住宅兼共同アトリエでピカソ、モディリアーニ、藤田嗣治達と親交を結び、キュビズム運動やアフリカ彫刻の影響を多く受けています。

画家のヴァランティーヌ・プラックスと結婚する時には藤田嗣治が証人として立ち会っています。そんな関係もあってか日本びいきの彼は二科展にも出品し、日本を何度か訪れてもいます。

芝生や木々だけでなく川や池も配されており、その間に散在する彫刻を宝探しのように散策しながら見つけていく楽しみを味わった後一休みしたカフェの傍らにもルノワール作の「ヴィーナス」が置かれていました。

ルノワールは生涯に15点ほどの彫刻作品を残しました。そのほとんどが、晩年リューマチで手の自由がきかなくなっていたルノワールに代わって実際に制作に携わったマイヨールの弟子の彫刻家ギノかルイ・モレルの作です。勿論、ルノワールが細かく指示を出していたようですが。