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美術館訪問記 - 653 マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館、Antwerpen

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館正面

添付2:ピーテル・ブリューゲル父作
「悪女フリート」

添付3:ピーテル・ブリューゲル父作
「悪女フリート」部分図

添付4:マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館内部

添付5:内部階段、壁にマイヤーの肖像画がある

添付6:ヨゼフ・ヤンセンス作
「マイヤー・ファン・デン・ベルグの肖像」

添付7:マビューズ作
「マグダラのマリアに扮した貴婦人の肖像」

添付8:ハインリッヒ作
「キリストにもたれて眠る聖ヨハネ像」

続く都市はアントワープ。現在の日本での表記はアントウェルペンと、ベルギーの都市名は昔の英語読みからオランダ語読みに変わっており、旧仮名遣いから新仮名遣いに変わったような違和感を覚えるのは私だけでしょうか。

この文中では皆さんにも馴染みある方が多いと思われるアントワープで通します。

これまでに「王立美術館」、「ルーベンス・ハウス」、「聖母マリア大聖堂」を採り上げて来たアントワープですが見どころはまだまだ沢山あります。

まず最初は第108回の「ルーベンス・ハウス」から西に200mほど行ったところにある「マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館」。

20世紀初頭に建てられたネオ・ゴシック様式の美しい館に貴族のマイヤー・ファン・デン・ベルグが晩年の10年足らずで熱狂的に収集したフランドル絵画のオールド・マスター作品が勢揃いしています。

中でも凄いのはピーテル・ブリューゲル父の「悪女フリート」。

悪女フリートとは、フランドルの説話に出てくる女性で、地獄の入り口に立つ悪女です。フリートは恐い女を凝縮して概念化した存在で、当時のフランドルは男性優位社会でしたが、恐妻家たちも勿論いたのでしょう。

画面中央に悪女フリートが脇目も振らずに前を凝視し進んでいます。鎧をまとい右手に剣を持ち、左手にはお鍋やパンやフライパンなど、つまり、攻撃と生活の二面性を兼ね備えており、向かうところ敵なしなのです。

彼女の行き先には大きな口を開けた人間のような顔がありますが、これは地獄の入口なのです。

悪女フリートの他にも仲間の女たちが男たちから略奪を働いています。奇妙な怪物や残酷な絵図はヒエロニムス・ボスの影響を多大に受けています。迫力のある絵です。

ピーテル・ブリューゲル父(1525頃-1569)はフランドル地方の巨匠ですが、資料は乏しく、生年、生地もはっきりしていません。

記録のある最初は1551年、アントワープの聖ルカ画家組合の登録で、この後イタリアを3年ほど歴遊してアントワープに戻り、1563年には結婚してブリュッセルに移り住んでいます。

経緯は不明ですがこの名画は1894年、ピーテル・ブリューゲル子の作として、ドイツのケルンでオークションにかけられ、美術館の買い付け係や個人コレクターが多数参加していたにもかかわらず、誰の注目も惹かず、ピーテル父の作と確信したマイヤーが低価格で落としました。

マイヤーはそれまでにピーテル・ブリューゲル父の絵画2点、素描に基づく版画22点を入手しており、ピーテル父の画風を熟知していたのです。

2012年、ゲント大学のチームの精査で、ピーテル・ブリューゲル父1563年という署名が発見され、まごう事なき真作と証明されています。

マイヤーは1901年、43歳の若さで世を去りますが、その死を悼んだ母親が息子のコレクションに陽の目をあてようと息子の趣味に適うであろう16世紀のネオ・ゴシック様式でこの邸宅を建設。

1904年、美術館として公開したのです。1961年からは市立美術館となりました。

館内にはマイヤーの愛した絵画、彫刻、古代コインなどが展示されています。マイヤーの死後、写真を基に母親が描かせたマイヤーの肖像画もありました。

並みの美術館ではまず見る事のないマビューズの佳品もあります。マビューズについては第5回のクラーク美術館を参照して下さい。

彫刻にはあまり目が向かない私も「キリストにもたれて眠る聖ヨハネ像」にはドキリとさせられました。制作年が1280年から1290年にかけてと表示されており、ビザンチン美術の影響の強い時代のものとは思えぬ人間味と感情表現があるのです。

現代的でさえあり、とても730年以上も昔のものとは思えません。

ドイツ、コンスタンツ在のハインリッヒ作となっていましたが、その時代に名前の残る彫刻家とは、ただ者ではなかったことでしょう。