グラナダをイスラム教徒から奪回しレコンキスタに終止符を打ったイサベル女王は、この地を墓所と定め、イスラムの象徴、大モスクを壊した跡地に1504年建立に着手。
同年女王は亡くなり、夫のフェルナンド2世も1516年に完成を見ずに死にますが、1521年の落成とともに両王の遺骸は「王室礼拝堂」に安置されました。
それまで二人の遺骸は前回述べた、現在はパラドールになっている、アルハンブラ宮殿内のフランシスコ会修道院に納められていました。
建物としては現在、隣接する大聖堂の一部のようになっていますが、完成は大聖堂よりも前で、歴史的・美術的価値も高いと言えます。
中に入ると、目の前に壮麗な金色の鉄柵が立ちはだかります。名工バルトロメ・ダ・ハロンが1520年に制作。
その鉄格子に囲まれた中には2つの棺があります。右側にあるのが、イサベル女王とフェルナンド2世の棺、左側にあるのがその娘でカスティーリャ女王のフアナと夫のフェリペの棺です。
イタリア製の大理石の石棺には、立派な彫刻が施されています。これは当時活躍していたフィレンツェ出身の彫刻家ドメニコ・ファンチェッリによるもの。
ただし遺骸はこの棺の中ではなく、階段を降りた地下の棺に埋葬されています。
祭壇にはローマ法王により献じられた聖遺骨が保存されているのです。
ここの聖具室にはイサベル女王の収集品も展示されており、ボッティチェッリやメムリンクなどイタリアやフランドル絵画作品と宝飾品などを見ることができます。
ボッティチェッリの「ゲツセマネの祈り」は天使が來迎しているのが珍しい。
ゲツセマネの祈りとは、キリストがオリーブ山のふもとにあるゲツセマネの園で、十字架刑に処せられる前夜祈った事をさします。オリーブ山の祈りとも言います。
死が翌日に来る事を知っているキリストは、ペテロたち3人の弟子を伴い、ゲツセマネに行き、十字架での死を「杯」と呼んで、できれば回避したいと祈りながら、神の御旨を求めるのです。
弟子たちには目を覚ましているように言うのですが、皆眠ってしまいます。
三度祈った後にイエスは決心して、自ら逮捕されるために進んで行くのです。
キリストが人間としての弱さを垣間見せる場面ですが、新約聖書の4福音書には全てこのゲツセマネの祈りは記述されています。
この絵は1498年から1500年の間に描かれていますが、メディチ家の庇護の下「春」や「ヴィーナスの誕生」という神話に基づいた華やかな絵を描いていたボッティチェッリは、晩年はキリスト教的宗教画ばかりになってゆきます。
というのも、権勢を誇ったロレンツォ・メディチが1492年に亡くなると、ドメニコ会修道士ジロラモ・サヴォナローラがフィレンツェの実権を握り、1494年メディチ家をフィレンツェから追放してしまうのです。
サヴォナローラは異教的主題やそれに基づく裸体表現を厳しく非難。ボッティチェッリも主題がキリスト教的なものばかりになって行ったのです。
サヴォナローラは暴走し始め、ローマ教皇をも批判するようになったので、1497年には教皇から破門され、翌年には処刑されてしまいますが、ボッティチェッリへの呪縛はなかなか解けなかったようです。
王室礼拝堂内は撮影禁止。添付写真はWebから借用しました。