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美術館訪問記 - 646 カルメン婦人病院、Cadiz

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:カルメン婦人病院正面

添付2:教会内部

添付3:グレコ作
「聖フランチェスコの法悦」

添付4:作
者不明「アンガスティアの聖母」

添付5:木彫の聖家族像

添付6:カルメン婦人病院内パティオ

次はカディス。セビーリャから100km程南にある港町で、紀元前10世紀頃にフェニキア人が築いたという古くから栄えた町です。人口12万人足らず。大航海時代は、あのコロンブスもカディスの港から旅立っています。

これまで「カディス博物館」と「カディス大聖堂」を採り上げています。

その2つを結んだ線を底辺とする疑似正三角形の頂点辺りにあるのが「カルメン婦人病院」。1749年開院の貧しい女性のための慈善病院でした。

しかし資金難のため、1963年に閉鎖され、カディス司教管轄区中央事務所として使用され、現在、建物の大部分は入場料を取って一般に開放されています。

入口で入場料を払うと、守衛が先導して病院内にある教会へ行き、扉の鍵を開け、電気を点けてくれました。ここは日本のガイドブックにも記載されていないので、訪れる人は滅多にいないのでしょう。

内部は煌びやかなバロックの装飾に溢れる小さな教会です。隅の礼拝堂の壁に目的のグレコ作の「聖フランチェスコの法悦」が掛かっています。

聖フランチェスコ(1182-1226)は、英語読みでは、サン・フランシスコ。

イタリア、アッシジの生まれで、ジョヴァンニと名付けられましたが、母親がフランス人だった事から、フランチェスコが通称になりました。

父は裕福な商人で、フランチェスコは享楽的な生活を送っていましたが、様々な経緯を経て信仰に目覚め、衣服も全て父に返し、文字通り、裸一貫で清貧の生活を送りながら、キリストの教えに忠実に従う事を説いたのです。

当時の聖職者が用いたラテン語ではなく、普通のイタリア語で、享楽時代に培った、歌や音楽も使いながらの彼の説話は、人々の心を掴み、生存中から聖人と見做された程で、彼同様、全てを投げ打ち、彼の後に続く者も増え、フランシスコ会が結成されます。

フランチェスコはイタリア語の原音に近い読みで、人名の場合、私は基本的に原音主義を採っていますが、フランシスコ会は日本にもあり、彼等が使用している日本語名称なのです。

彼は様々な奇跡を行ったとされていますが、最も有名なものが聖痕で、キリストが磔刑時に受けた、両手、両足、胸の傷痕を、ヴェルナ山中で天使セラフィムから、1224年に受けたというのです。

つまり、キリストと同体視されるべき、初の人間という事になります。

聖フランチェスコは、当時から今に至るまで、キリスト教徒の間では最も崇敬されている聖人のようで、イタリアの守護聖人にもなっています。

聖フランチェスコの生涯や、様々なエピソードを採り上げた絵画作品は、彼の死の直後から数多く描かれました。

この事は、神や、遥か昔の聖人達を形式的に描いていた、それまでの主題から、自分達と同時代の身近な人間を描くという視点をもたらし、キリストに復帰する事と、慈愛とを説いた彼の教えと共に、教会至上主義から、人間復活を目指した、ルネサンスの扉を叩いたとも言えるでしょう。

ここにある「聖フランチェスコの法悦」はグレコが描いた聖フランチェスコとしては最良のものだと言われています。

彼の左手に聖痕が見えますから、まさに聖痕を受けた直後の事でしょう。上空には聖痕を与えた天使の発する光が見えます。

暗い山中で荒縄を帯にした粗末な衣装を着けた聖フランチェスコが陶然とする傍らで、供の僧侶が余りの事に腰を抜かしています。

別の礼拝堂には作者不明の「アンガスティアの聖母」が掛かっていました。生母の背景にはイスラエルの街が見えます。

左側にある別の礼拝堂は木彫の聖家族像で埋まっていましたが、こういう礼拝堂は珍しい。

パティオを取り巻く半円形のアーチと、一角にある複雑な形をした階段も美しい。