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美術館訪問記-60 ハンプトン・コート宮殿

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:アンドレア・マンテーニャ作
「死せるキリスト」
ミラノ、ブレラ美術館蔵

添付2:アンドレア・マンテーニャ作
ドゥカーレ宮殿の婚礼の間の天井画

添付3:アンドレア・マンテーニャ作
「シーザーの帰還」一部

添付4:ハンプトン・コート宮殿正面

添付5:ハンプトン・コート宮殿内部

添付6:ハンプトン・コート宮殿庭園

添付7:ヴァン・ダイク作
「王女メアリー」

ここ数回アンドレア・マンテーニャの名前が出てきました。 同時代のベッリーニ、フォッパ、トゥーラ、クリヴェッリ等の巨匠に影響を与えた マンテーニャとはいかなる人物なのかと疑問に思われた方もおられるでしょう。

マンテーニャは1431年イタリア、パドヴァ近郊の生まれ。 当時イタリア絵画の一大拠点だったパドヴァで絵画を学び、 硬質な彫刻的画法で一躍頭角を現し、上記3人以外にも フィレンツェからパドヴァへ仕事に来たウッチェッロやフィリッポ・リッピ、 ドナテッロ等とも交友しています。

1460年からはマントヴァへ移り、 マントヴァ侯ゴンザーガ家の宮廷画家として75年の生涯を終えました。

マンテーニャと聞くと想起されるのは、ミラノのブレラ美術館にある、 キリストを足元から見た短縮遠近法の傑作、「死せるキリスト」でしょうか。

それとも時を越えて我々に語りかけてくるような、 イタリア、マントヴァのドゥカーレ宮殿の婚礼の間の壁画でしょうか。 あるいはルーヴルや各地の美術館で見られる名作でしょうか。

それらも素晴らしいのですが、私が最も感銘したのは、 イギリス、ロンドン郊外のサリーにある、「ハンプトン・コート宮殿」に 専用の1室を与えられて特別展示されている、彼の「シーザーの帰還」です。

これはシーザーのガリア遠征からのローマへの勝利の帰還を描いた、 1枚が266cm x 278cm の大画面の連作9枚からなる傑作です。

それにしても、どうしてこんなものがハンプトン・コートにあるのか。

この部屋には老人の看視人一人が張り付いていましたが、 彼の説明では1486年から1505年にかけてマンテーニャが ゴンザーガ家のために描いたもので、後にゴンザーガ家が没落して 売りに出したのを、1629年にチャールズ1世が買い取ったと言うのです。

そんなものがあるとは露知らなかった。 世の中にはまだまだ未知の領域があるものだ。と、絵を保護するためか、 薄暗い照明の下で目を凝らし眺め入りました。

マンテーニャはテンペラ画にこだわり、油彩画は少ないのですが、 これらもテンペラで、年代が経って暗く、洗浄されていないように見えます。

件の看視員の話では、購入後何世紀にも渡ってイギリスの画家達が 修復を試みたのが悪くしているということでした。 幸い1960年代に回復が試みられ、9枚の内7枚は オリジナルの状態に戻っているとか。

ハンプトン・コート宮殿は1514年にトマス・ウォルジー枢機卿が建てた宮殿を ヘンリー8世が横取りし、その後、ウィリアム3世、メアリー2世が クリストファー・レンに命じて、フランス風建築様式を導入した豪華宮殿。 300万坪を超える庭園も素晴しい。

1838年ヴィクトリア女王の命で、開かれた王室の象徴として公開開始。

しかしイギリス王室の宮殿はウィンザー城やバッキンガム宮殿も同じですが、 料金を徴収して見学させる割にはサービスが悪く、 飾られている絵画や彫刻に何の説明も無く、絵の下に小さな金属製のプレートで 作品名と作者名を示してはいますが、傍に近づけないので、殆ど読めません。

あちこちにいるスタッフに聞いても、 マンテーニャの部屋の係員以外は勉強不足で全く要領を得ないのでした。

日本語の音声ガイドも借りられますが、この音声ガイドが最初は番号を入れ、 後はシークエンシャルで>ボタンを押す方式。 それはいいのですが、説明がヘンリー8世の時代の臨場感を出そうとして 芝居がかっているものですから、冗長で、早く切って次を聴きたいのですが、 それができない。 しかも歴史やいわれの説明ばかりで、美術品の説明は殆どないのです。

購入したガイドブックやインターネットのホームページの内容も同じようなもので、 美術品の説明は殆どないのでした。

私が現地で認識した限りでは、バッサーノ、ティツィアーノ、ドッソ・ドッシ、 ホルバイン、ルーベンス、ヴァン・ダイク、セバスティアーノ・リッチ、 テオドール・ルソー等が展示されていました。


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