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美術館訪問記 - 565 アーゾロ聖堂、Asolo

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:アーゾロ聖堂正面

添付2:アーゾロ聖堂内部

添付3:ティッツィアーノ作
「聖母被昇天」 ヴェネツィア、フラーリ聖堂蔵

添付4:ロレンツォ・ロット作
「聖母出現」全体図

添付5:ロレンツォ・ロット作
「聖母出現」主部

添付6:ティッツィアーノ作
「カタリーナ・コルナーロ」ウフィツィ美術館蔵

添付7:ヤコポ・バッサーノ作
「聖母出現」

次の町はアーゾロ。ヴェネツィアの北西50km余りの所にある山上の町です。面積25.4㎢とアメーバ状に広がった地形で別名「百の水平線がある街」。

今はどうか知りませんが、私が中学校時代、教科書に載っていた「神、そらにしろしめす。すべて世は事も無し」の一節を書いた19世紀英国の詩人ロバート・ブラウニングはこの地に住み、その詩を作ったのです。

この街の中心ガブリエル広場に面して建つのが「アーゾロ聖堂」。

少なくとも590年には建てられていたようで、その跡に1584年、現在の聖堂が建造されたといいます。

茜色の美しいファサードは1889年に完成しています。基本的にロマネスク・ゴシック様式のファサードは3つの入口を持っており、この点はルネサンス様式も加味されています。

内部は三廊式で白色に塗られた壁や柱、天井も相まって非常に明るい。

主祭壇にはヴェネツィアのフラーリ聖堂にある有名なティツィアーノの「聖母被昇天」のラッタンツィオ・クエレナによるコピーが置かれており、この聖堂が聖母被昇天に献堂されている事を示しています。

キリスト教徒ではない大多数の日本人には馴染みが薄いのですが、教会にはこのように聖人の行為に対して献堂されているものが数多くあります。ヴェネツィアのフラーリ聖堂も聖母被昇天に献堂されています。

聖母被昇天については第365回で詳述しました。

その前にはイタリアの生んだ新古典主義最高の彫刻家、アントニオ・カノーヴァの祖父のパル・カノーヴァ作の2体の天使像があります。

祭壇画としてはロレンツォ・ロットのトレヴィーゾ時代の代表作「聖母出現」が聖堂のあるアーゾロの風景を描いたプレデッラ付きでありました。

この絵の左側の老人は「聖アントニウスの誘惑」で有名な修道院の創設者、聖アントニウス、右側の若者はトゥールーズの聖ルイ。

トゥールーズの聖ルイについては第350回を参照して下さい。

4世紀に活動した聖アントニウスと13世紀末に若くして死んだ聖ルイが同時に存在しているのは妙だと思われるかもしれませんが、宗教画にはよくあることです。

この絵は1506年に描かれていますが、聖母マリアの顔は当時アーゾロの君主だったカタリーナ・コルナーロを模していると伝えられています。

カタリーナ・コルナーロはヴェネツィアの貴族コルナーロ家からキプロス王に嫁いだ女王でしたが、王亡き後衰退したキプロス王国の統治権をヴェネツィア共和国に譲り、代償として与えられた、ヴェネツィアの一部だった、アーゾロの女王として死の前年、1509年まで20年間この地の領主でした。

後にティツィアーノが描いた彼女の肖像画を添付しておきます。

ヤコポ・バッサーノが1549年に同一主題を描いた祭壇画「聖母出現」もありました。

バッサーノはロレンツォ・ロットの絵を十分意識しながら描いているのが顕著ですが、ロットの静的な聖母マリアに比べ、体を大きく捻っており、動的なマニエリスムへの進行を窺わせます。