前回のアーゾロ聖堂の正面には「アーゾロ市立美術館」があります。
15世紀に建立された宮殿を19世紀末に美術館に転用したものです。
入ると考古学的展示品の間にジェンティーレ・ベッリーニに帰属される絵画1点が置かれていました。
タイトルは「ヴェネツィア総督アゴスティーノ・バルバリゴとキプロスから帰還したカタリーナ・コルナーロの会談、1489年」となっています。
前回触れたアーゾロの女王だったカタリーナ・コルナーロはキプロスから帰還後1489年にアーゾロの領主となるのです。この絵はその時の情景を写したものです。
ジェンティーレ・ベッリーニはヴェネツィア派の祖と言われる画家ヤコポ・ベッリーニの長男で、弟が著名なジョヴァンニ・ベッリーニ。
ジェンティーレは1429年ヴェネツィアの生まれで父ヤコポの師であったジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの名前を貰って命名されました。
父の下で修業し、父と弟と共に様々な仕事を遂行しましたが、1470年頃に父がなくなると、1471年、弟と共に工房を構えます。
1474年にはヴェネツイァ共和国総督の正式肖像画家に任命され、幾つもの肖像画を残しています。今では弟のジョヴァンニの陰に霞んでいますが、生前は、弟に勝るとも劣らない高い評価を得ていたのです。
1479年には、ビザンティン帝国を滅ぼしたオスマン帝国のスルタンからの画家を求める要請に対し、ヴェネツィア共和国はジェンティーレを派遣します。
ジェンティーレは2年近く、コンスタンティノーブルの宮廷で活躍し、添付のメフメット2世の肖像画などを残しています。
ジェンティーレの代表作は1500年にヴェネツィアの福音書記者ヨハネの同信会のために描いた「聖十字架」連作でしょう。
添付の「聖十字架の奇跡」は、同信会が年に一度行っていた祭礼の光景。祭礼の最中、運河に落ちた聖十字架を誰もが拾い上げようとするが叶わない中、同信会の会長が飛び込んで拾い上げた、という場面を描いています。
奇跡が起こった場所である運河と橋、それを見守る人々を詳細に描写していますが、ジェンティーレの興味は都市景観の表現により多くあるように見えます。
彼は18世紀のカナレットやグアルディまで続くヴェネツィアの都市景観図を確立した画家として重要な地位を占めています。
ところで運河左岸に立つ人々の内、最も手前に描かれた女性はあのカタリーナ・コルナーロです。
彼女はアーゾロの宮廷に文化人たちを集め、文芸を奨励しました。実はジェンティーレ・ベッリーニも彼女の宮廷によく招かれた一員だったのです。
「聖十字架の奇跡」と同じ1500年頃にジェンティーレの描いたカタリーナ・コルナーロの肖像が残っています。彼女の女王としての威厳と誇り、経験してきた人生の辛酸が滲み出ているかのようです。
前回のロレンツォ・ロットの描いた彼女の顔とは随分違いますが、ジェンティーレがカタリーナの宮廷に招かれていたのに比べ、「聖母被昇天」を描いた当時トレヴィーゾにいた、まだ新進のロットは、1454年生まれのカタリーナを見ていなかったであろうと考えれば、納得できます。
あるいは何らかの忖度があったのか。
美術館にはカナレットの甥のベッロットの「ラグーンの岸辺に凱旋門遺跡のあるカプリッチョ」もありました。
「カプリッチョ」は、奇想画とも呼ばれ、18世紀には、実在するものと空想上のものとを組み合わせた都市風景画を意味しました。