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美術館訪問記 - 563 司教美術館、Ascoli Piceno

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:司教美術館入り口

添付2:カルロ・クリヴェッリ作
「幼子キリストに礼拝する聖母マリア」

添付3:カルロ・クリヴェッリ作
多翼祭壇画「聖母子と聖人たち」

添付4:ピエトロ・アレマンノ作
「聖母子像」

添付5:コーラ・デッラマトリーチェ作
「聖母子と聖人たち」

添付6:コーラ・デッラマトリーチェ作
多翼祭壇画「聖母子と聖人たち」

前回の市立美術館が入居している3階建ての市庁舎と大聖堂は接続していますが、その接続部の1階にはアーケード状の狭い通路が通っています。

この通路に面して入り口があるのが「司教美術館」。

私達が2006年に最初に訪れた時は、開館時間の筈なのに入口が閉まっていました。時間を変えて2度目に行った時も閉まっていましたが、この時は通路の反対側にある事務所の扉が開いていたので、入って頼むと開けてくれました。

2014年に訪れた時は何時行っても閉まっていましたから、注意が必要です。2006年時には入口に入場者の名前を書くノートが置いてありましたが、殆ど記入されていなかったのも無理もありません。

入り口直ぐにある階段を上がった2階が展示室。通路の上と大聖堂側、市庁舎側に跨る7部屋が展示室となっていました。

カルロ・クリヴェッリの聖母子像が、入り口上の看板にも描かれているように、優雅な聖母マリアの佇まいと表情で印象的です。

額縁はなく、黒いパネルの上に吊るされた板絵です。

幼児キリストがマリアの両腿の上に横になってマリアを見上げているという図柄は非常に珍しい。おそらくこの絵が初出でしょう。

ヴェネツィア生まれながらパドヴァ派の流れを汲むクリヴェッリは、作品に現実感を持たせるべくパドヴァ派が好んで描いた野菜や果物を多用しますが、ここに描かれた3つの林檎は原罪を象徴し、幼児キリストが左手で持つ林檎は自分が純潔の母から生まれた神の子である事を示しています。

聖母子の上にあったと思われるパネルは消失しているものの、5翼は完全なクリヴェッリの多翼祭壇画「聖母子と聖人たち」もありました。

前回詳述したピエトロ・アレマンノの出来の良い「聖母子像」もあります。これは元々は大きな祭壇画だったものの中央部分を切り離したのでしょう。

上記の二人と比べると時代が違うような盛期ルネサンス風の名画がありました。

コーラ・デッラマトリーチェの「聖母子と聖人たち」です。

コーラは本名ニコーラ・フィロテージオ。1489年、アスコリ・ピチェーノの南西40㎞の所にある山上の町、アマトリーチェの生まれで、ニコーラは言い難いのでコーラとし、出身地名を付けて通称コーラ・デッラマトリーチェ。本人も作品にはこの名で署名しています。

ルネサンスの芸術家らしく絵画、彫刻、建築の分野で存分に才能を発揮した彼は、1500年頃アスコリ・ピチェーノに出て、彫金細工師の下で修業し、画家に転向。

1512年から2年間ローマに出てラファエロの作品に感銘。古めかしいアレマンノ風から脱皮してラファエロ流の洗練された画風を習得します。

アスコリ・ピチェーノに戻って、方々から舞い込む注文を受けながら名声を高め、1532年にはアスコリ・ピチェーノ大聖堂のファサード建築責任者も務めるのです。

1559年、アスコリ・ピチェーノで死去。

司教美術館には彼の作品が他に3点、展示されていました。

他にも地元出身の芸術家たちのフレスコ画や宗教画、彫刻、宗教関連装飾品などが陳列されていました。