アレッツォ大聖堂前の通りを下っていくと、100m余りで 「サンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会」の前に出ます。
独特のユニークな形状で一目見たら忘れられません。
1008年には既に存在していたという記録があるようですが、 12-13世紀にはロマネスク様式で再建され、 ファサードはロマネスク建築のピサ・ルッカ様式になっています。
12世紀初期に建てられたファサードは、非常に独創的な外観を持っています。 4層に分かれ、一番下の層は装飾された5つの小アーチ状の開口部から成り、 その上は列柱で支えられた小回廊が3層に重なっています。
列柱の数は下から上にいくにつれ12本、24本、32本と増えていきます。
ロマネスク様式の鐘楼も見どころ。1330 年に建造されたものです。 その高さは59m。地元の人達はこの鐘楼のことを「チェント・ブーケ (100の穴) 」 と呼びます。両開き式の窓が多数並んでいるからです。実際は穴の数は80個ですが。
正面の中央玄関を入るときには上を観るのを忘れてはいけません。 彩色彫刻の浅浮彫で、4面に仕切られた壁面に1年の12ヶ月が描写されています。 13世紀の無名作家の手になるものですが、素朴で面白い。
教会内部は、天井が高く、広くて荘厳な身廊とそれを取り囲む2つの側廊がある 3廊式。天井は木製の化粧屋根裏天井で覆われています。翼廊の上にあたる 丸屋根は支えのドラムのみが建てられ、未完成のまま終わっています。
森厳とした主祭壇にピエトロ・ロレンツェッティの多翼祭壇画 「聖母子と聖人達」が、修復されたのでしょう、燦然と光り輝いています。
実に15翼で構成されているこの祭壇画は1320年完成の ピエトロ・ロレンツェッティの代表作です。
ピエトロ・ロレンツェッティは1280年頃シエナで生まれ、1348年シエナで没した シエナ派に属する画家ですが、 活躍の場はアレッツォ、アッシジ、フィレンツェにも及んでいました。
特に1310年からほぼ10年間アッシジでサン・フランシスコ聖堂のフレスコ画制作に 携わり、この時5年近くアッシジにいたジョットと共に働く機会があり、 強い影響を受け、空間表現、人物の感情表現に長足の進歩を示すのです。
アッシジから10年後に描かれたこの多翼祭壇画内の「受胎告知」に見られる 3次元的表現は、フィレンツェ派画家を100年先取りしていますし、 それまでの無表情に観客に顔を向けている聖母子とは全く異なり、 互いを見詰め合うマリアとキリストは実の親子の感情が出始めています。
側廊にある浮き彫り「東方三博士の礼拝」も素朴で面白い。
長い歴史を感じさせるこれらの建築や絵画、彫刻とは全く異なる、 最先端の幾何学模様の珍しいステンドグラスが好対照を見せていました。
教会を出ると、向かいに風情ある泉と蔦に絡まれた骨董店がありました。
実はアレッツォは骨董の町としても有名で、毎月第一日曜日とその前日の2日間 ヨーロッパでも最大級と言われる骨董市が開催され、大勢の人で賑わうのです。