次の町はアレッツォ。これまで3回採り上げた、フィレンツェの南東60㎞にある 古都で、古代ローマ以前にイタリアにあったエトルリアの首都だった事もあります。
第135回のアレッツォ大聖堂の前の通りを北西に400m程行くと、 「国立中世・近代美術館」があります。
美術館となっているブルーニ・チョッキ宮殿は、町の歴史上最も重要な私邸の一つ です。中世の家々が建ち並ぶ地域に、フィレンツェ共和国ドナート・ブルーニの 住居として1445年に建てられ、15-16世紀にモンテ・サン・サビーノの貴族 チョッキ・ディ・モンテによって完成しました。
砂岩造りの邸宅は3階からなり、美しい調和の取れた中庭があります。 邸宅の2階からは、宮殿裏手にあるテラス庭園に出ることができます。
美術館は寄贈された公私コレクションの美術品の宝庫で、彫刻や金銀細工、古銭、 武器の部門を除き、中世から近代にかけて年代順に展示されています。
ここでの注目はヴァザーリの289 x 745cmの超大作「アハシュロスの晩餐」。 彼の畢生の傑作です。普段、前例に基づいて、形だけをなぞった感のある 彼の絵ですが、この絵には感情がこもっている。つまり登場人物が生きています。
「アハシュロスの晩餐」とは旧約聖書の「エステル記」の中のお話で、 アハシュロスはインドからエチオピアにかけて統治する大王で、 後にユダヤ人モルデカイの養女エステルを見初めて妻に迎えます。
しかしユダヤ人を憎む悪代官ハマンに唆され、ユダヤ人を皆殺しにする勅書に 署名してしまいます。だがエステルは酒宴を企画し、 その場でユダヤ人という出自を明かした彼女の機転によって 逆にハマンは誅伐され、全てのユダヤ人が救われるという内容です。
アハシュロスは歴史上はクセルクセス1世という実在したペルシャの大王で ギリシャへの大遠征を企てるものの失敗し、紀元前465年暗殺されています。
ヴァザーリについては第133回の「ヴァザーリの家」を参照して下さい。 地元出身の画家だけに他にも10点、彼の作品が展示されていました。
ルカ・シニョレッリの「聖母子と諸聖人」が異なる構図で2作ありました。 内1作には衣服に絵画が描かれています。こういうのは珍しい。
他にはパッリ・ディ・スピネッロの「慈悲の聖母」やネーリ・ディ・ビッチの 「慈悲の聖母」、ジョヴァンニ・バルドゥッチの「聖母子と諸聖人」、 アンドレア・デッラ・ロッビア工房のテラコッタ作品 「聖母子と聖セバスティアンと殉教者ユリアヌス」が目につきました。
特にジョヴァンニ・バルドゥッチの絵の聖母マリアの表情と色使いが優雅です。
バルドゥッチは1560年フィレンツェの生まれで、同地の画家の下で修業しましたが、 ヴァザーリの影響を強く受けています。
流動的な人物の配置や身振り、鮮やかでありながら冷たさも感じられる色彩など ヴァザーリの画風である典型的なマニエリスム様式の特徴を受け継いでいます。
ヴァザーリはメディチ家のトスカーナ大公コジモ1世お抱えの芸術家となって 1554年からはアレッツォからフィレンツェに居を移し、 多くの作品をフィレンツェに残しています。