ロレンツォ・ロットの独創性を象徴する傑作の一つが「ロザリオの聖母」。
この祭壇画のあるチンゴリの町は、前回のレカナーティからさらに山を登り、西へ25㎞程行った海抜650mの山上に位置しています。
ところが私のマルケ地方周遊時には祭壇画を所有する「サン・ドメニコ教会」が改修中で閉鎖。この絵一つのために再度日本からチンゴリまで出かけるのは難しい。
ダメモトで旅の2ヶ月程前に何とか見せてくれないかと、町役場に拙いイタリア語でメールしたら、OKと言って来ました。
約束の3時前に教会に行ったところ、鉄骨が組まれて教会の姿も見えない程。これはダメかと思ったら、3時には鉄柵の下にある小さな扉が開いて30歳くらいの男性が招き入れてくれました。
こちら一人のために町役場から人が来て、教会の電源を全て入れ、こうこうとした灯りの下でロレンツォ・ロットの素晴らしい名画を堪能できました。世の中、捨てたものではありません。
堂内は単廊式で備品は片づけられていましたが、祭壇画は全て掛かっていました。中央主祭壇に目当てのロレンツォ・ロットの「ロザリオの聖母」が鎮座しています。
何という独創的な絵でしょう。こんな構図は世界中の美術館や教会を回って来た私も見た事がありません。
簡素な椅子に座る聖母マリアの足元に聖人たちが並び、マリアの背後にはクリスマスツリーの飾り玉を大きくしたような円が並ぶ緑樹があります。
これらの円の中にはキリストの生誕から死、そして復活までが順に描かれており、「ロザリオの玄義」と呼ばれています。
ロザリオとはカトリック教会において聖母マリアへの祈り(アヴェ・マリア)を繰り返し唱える際に用いる数珠状の祈りの用具、およびその祈りのことで、この絵では聖母マリアがロザリオを聖ドメニコに渡しています。
ロザリオの玄義とはキリスト教でお祈りを捧げる際、瞑想すべき場面の事で、この絵の下段は「喜びの玄義」、中段は「悲しみの玄義」、上段が「栄光の玄義」とされ、これらの玄義を黙想しながらアヴェ・マリアを唱えていく、「ロザリオの祈り」の創始者が聖ドメニコと伝えられているのです。
喜びの玄義とは受胎告知、エリザベト訪問、キリスト生誕、幼子イエスの神殿奉献、神殿での少年イエスの発見の5つ。
苦しみの玄義はゲッセマネの祈り、鞭打ち、茨の冠、十字架運び、磔刑の5つ。
栄光の玄義はキリストの復活、キリスト昇天、使徒達への精霊降臨、聖母被昇天、聖母戴冠の5つ。
いずれも宗教画や宗教彫刻の主題として頻繁に採り上げられています。
「ロザリオの聖母」と題された絵は沢山ありますが、このような独創的な絵は他にはありません。真似をしようにも、マルケの山中深くまで旅をするような事は近年まで難しく、画家たちの目に触れることはなかったのでしょう。
マリアの膝の上の幼子イエスはチンゴリの街の守護聖人、聖エスペランツィオが捧げるチンゴリの都市模型に祝福を与え、マリアの足元にいる3人の天使の一人は桶に入った花びらを観る者に投げかけています。
チンゴリの街のドメニコ会の人々に大いなる喜びと誇りを与える絵です。
気が付くと町役場の係りの男性が待ちわびたように側に立っていました。どれほどの間、絵に見入っていたのでしょうか。彼に厚くお礼を言って教会を後にしました。
私はロレンツォ・ロットは同時代を生きた同じヴェネツィア出身のティツィアーノに比肩すべき優れた画家だと思うのですが、日本ではほとんど知られていないのが残念です。
その大きな原因はロットの傑作がレカナーティやチンゴリ、ロレート、第40回のポンテラニカなどにあり、日本のいわゆる美術専門家たちは誰も実物を観たことがなく、実感を持って紹介しようがないからでしょう。
なおドメニコはイタリア語読みで、英語ではドミニコ。日本では一般的にイタリア人の聖フランチェスコを英語読みの聖フランシスコと呼ぶようにドミニコと呼んでいます。ちなみに聖ドメニコの生誕地スペインではドミンゴ。