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美術館訪問記 - 553 市立フランチェスコ・ポデスティ絵画館、Ancona

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:市立フランチェスコ・ポデスティ絵画館入り口

添付2:フランチェスコ・ポデスティ作
「無原罪の御宿りの教義」
ヴァティカン博物館蔵

添付3:フランチェスコ・ポデスティ作
「ピエタ」

添付4:ティツィアーノ作
「ゴッツィの祭壇画」

添付5:ロレンツォ・ロット作
「アルバルダの祭壇画」

添付6:グエルチーノ作
「「無原罪の御宿り」

添付7:サッソフェラート作
「聖母マリア」部分図

添付8:カルロ・クリヴェッリ作
「聖母子像」

添付9:市立フランチェスコ・ポデスティ絵画館中庭

アンコーナは、イタリア共和国中部のアドリア海沿岸にある港湾都市ですが、古代ギリシャ人が築いた人口10万人余りの古都で、マルケ州の州都です。

イタリアの古都はどこもそうですが、狭い路地道が張り巡らされており、その路地の一角に「市立フランチェスコ・ポデスティ絵画館」があります。

館名に冠せられているフランチェスコ・ポデスティは1800年、アンコーナ生まれの画家で、彼が収集し、市に寄贈した作品を基に、1884年、この絵画館は開館しています。

私もポデスティの名前は、ここに来て初めて知ったのですが、イタリアではロマン主義の大家アイエツと並び称される19世紀の巨匠です。

15歳で孤児になった彼は絵画の才を認められ、市の奨学金を得てローマで10年間絵画の修行を積みます。

この間、当時世界最高の彫刻家と言われたカノーヴァがまるで父親のように技術的にも経済的にも配慮してくれ、新古典主義の大家ジャック=ルイ・ダヴィッドの知己も得て歴史画、特にフレスコ画の第一人者として認められるようになります。

枢機卿やローマ教皇の肖像画も数多く残している彼は、ローマ教皇ピウス9世の依頼でヴァティカン宮殿に1855年から9年をかけて自他共に彼の最高傑作と認められる大作「無原罪の御宿りの教義」を描きます。

これはピウス9世が「無原罪の御宿り」を1854年に正式にカトリック教の教義と宣言したことから、それを記念しての事でした。

前にも一度書きましたが、「無原罪の御宿り」とは、聖母マリアが無原罪(つまり情交なしに)でキリストを身ごもった事と解釈されている人が多いのですが、それは間違いで、マリア自身が、その母である聖アンナの胎内に無原罪で懐胎したという信仰です。

無原罪信仰そのものはマリア崇拝とともに極めて古くからあり、特にスペインでは熱烈に信仰され、歴代教皇に教義としての認可を迫っていました。

ポデスティはこの大作の成功で名声を確立し、大家として1895年ローマで永眠。

しかし、印象派やフォーヴィスム、表現主義などの新潮流が世界を席巻すると、彼のような画風は旧態依然で新味がないとして死後急速に忘れられて行きました。

同じような運命を辿った新古典主義の重鎮、ジェロームやブグローなどが20世紀末になって見直され、再評価されて来ているように、ポデスティも見直されて来つつあるようです。

そのポデスティの作品は油彩画12点、素描19点が展示されていました。

開館から130年余りを経て、ポデスティ収集作品はむしろ少数派で、その後の寄贈や館の購入による現代作品の展示の方が多い。

絵画館という名称通り、ポデスティの集めたものは絵画だったのでしょうが、現在は彫刻作品も数多く展示されています。

ただこれらの現代作家には国際的に名の知られた人は見当たらず、州都の公立美術館として州出身芸術家の育成・保護という機能もあるのでしょう、地元関連の聞いたこともない画家や彫刻家の作品ばかりです。

それらの中では、私にとっては、やはりポデスティの収集した作品の方が圧倒的に魅力的でした。

ティツィアーノやロレンツォ・ロット、グエルチーノ、サッソフェラートの大作が1点ずつあります。これらだけでも十分訪れる価値はあるのですが、その上、カルロ・クリヴェッリの小品ながら優品も1点ありました。

この絵画館には狭いながらも中庭があり、中心に古い井戸が設置されていました。