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美術館訪問記 - 551 神殿の谷、アグリジェント、Agrigento

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:神殿の谷遠景

添付2:神殿の谷から見た新市街

添付3:コンコルディア神殿 写真:Creative Commons

添付4:ヘラクレス神殿 写真:Creative Commons

添付5:石材の重さで窪んだ轍跡

添付6:ヘラ神殿へ至る道

添付7:道端のウチワサボテン

アメリカの町、ABC順の美術館巡りもBが終わった所です。アメリカばかりでも食傷するでしょうから、次はイタリアをABC順に行きましょう。

イタリアはこれまで104ヵ所をカバーして来ていますが、これを書いている時点で607ヵ所を訪れているので、まだまだ採り上げたい訪問先が沢山あります。

Aの最初はアグリジェント。シチリア島の南西部にある、紀元前580年頃、ギリシャ人が建設した古都で、古代地中海世界の重要都市の一つでした。現在の人口は6万人足らずですが、当時、最大30万人はいたと考えられています。

第39回のセジェスタ神殿で説明したように、ギリシャの植民地には豪壮な神殿が建築されるのが普通でした。特に重要都市だったこの地には幾つもの神殿が建てられ、アグリジェントの覇権を誇示していました。

それらの20近くの神殿遺跡群が、アーモンドの木や果樹の広がる丘に、今も「神殿の谷」と呼ばれ残っています。

添付写真で見ると谷というよりは丘のように見えるかもしれません。確かに地形的には誤称なのですが、これは現在の新市街から見た呼び方で、旧市街の古都のはるか後方の高い丘に近代的な新市街地が形成されています。

残されたアグリジェント遺跡群の目玉ともいえる神殿が「コンコルディア神殿」。紀元前450年頃に建造されたドーリア式の神殿で、シチリア島で最も大きく、前面6本、側面13本の柱が現存しており保存状態が良いことで知られています。

ドーリア式とは古代ギリシャ建築における建築様式の一つで、イオニア式、コリント式と並ぶ3つの主要な建築様式に位置づけられ、ドリス式とも呼ばれます。古代ギリシャ建築前期のもので、柱頭に鉢形装飾や柱基を持たないのが特徴です。

コンコルディアとは平和・調和・和解を象徴するローマの女神の名前です。丘の中央に位置し、最も完全に近い姿を留めている神殿です。

6世紀のビザンティン時代に神殿は教会に改築され、18世紀に元の神殿の姿に戻りました。教会に改築したときに、円柱と円柱の間を塞いで壁にしたため、結果的に神殿を補強することになり、地震で崩壊することなく、素晴らしい保存状態で残っています。

神殿前に横たわるブロンズ像は、ギリシャ神話の中のイカロスの像です。イカロスは、海の上を飛んでいる時に、太陽に近付き過ぎて羽の蝋が溶けて落ちましたが、上手く渡り終えた父親のダイダロスは、アグリジェントの近くに辿りついたとされています。

続いてあるのが「ヘラクレス神殿」。8本の柱が並んでいる神殿です。ギリシャ神話の英雄ヘラクレスに捧げられていました。

紀元前520年頃建造されたアグリジェントで一番古い神殿です。

ドーリア式神殿で、他の神殿よりも少し古い時代に造られているので、柱のエンタシス(中央部の膨らみ)が強調され、他の神殿の奥行きの柱の本数が13本なのに対し、この神殿は15本で構成されていました。

100年前は瓦礫の山だったのですが、1921年頃に考古学者ハードキャッスル卿が現在見られる8本の柱を復元しました。

神殿の東側には、石材の重さで窪んだ轍の跡が残っています。

一番東側の高台にあるのが「ヘラ神殿」。

紀元前460年頃に建造されたドーリア式神殿で、ギリシャ神話の最高神ゼウスの正妻ヘラに捧げられていました。ヘラは、結婚と家庭を司る神なので、ギリシャ時代は神殿前で結婚式が行われていたそうです。

カルタゴの進攻と中世に起きた地震の被害で全壊し、現在は25本の柱と柱の上の横部分のみ、形を留めています。

ヘラ神殿の前にある石を積み上げた台は、祭壇です。ギリシャ時代は、神殿の前には必ず祭壇があり、祭壇は神殿に捧げ物をするときに使われていました。

道端には南国らしく、団扇のような葉の先に赤い実をつけたサボテンがありました。

こういう遺跡を見る度に「夏草や兵どもが夢の跡」という感を強くし、自然に悠久の時の流れに思いを馳せるのです。

なお私たちが訪れた2006年10月は、いくつかの神殿が修復中で、工事用の機材で全容が撮影できなかったので、添付の写真数葉はWebから拝借しました。