アトランタから西に200k余りの場所にバーミングハムという都市があります。イギリスのバーミンガムに因んで名づけられましたが発音は少し異なります。
アラバマ州最大の都市で人口21万人余り、都市圏人口115万人程です。
この市の中心近くにあるのが「バーミングハム美術館」。
現在の建物は1959年にオープンしており、美術館の前は広い公園になっています。入口左横には滝のように水の落ちるプロムナードがあり、美術館右前には「鉄工労働者」と題する力強く大きな色付けされたブロンズ像がありました。
ここは2階が西洋美術に充てられています。ここも1952年、サミュエル・クレスから29点のイタリア・ルネサンス絵画・彫刻の贈呈を受けたものがヨーロッパ古典部門の核をなしています。
ペルジーノ、ガロファロ、フランチャビージョ、パリス・ボルドン、ヴェロネーゼ、カナレットなどが揃い結構充実しています。
ミーノ・ダ・フィエゾーレ作の女性の横顔の浮き彫りが気品を湛えて心に残ります。
彼は1429年フィレンツェ近郊のスティーア生まれで本名ミーノ・ディ・ジョヴァンニ。後世のヴァザーリの芸術家列伝中に誤ってフィエゾーレ生まれとされたために現在の通称となっています。
彼がどういう修業をしたのかは詳らかではないのですが、フィレンツェの巨匠たちの下にいた形跡はなく、トスカーナ系統だろうと推測されているのみです。
フィレンツェやローマで重要な墓碑造営に携わっており、胸像彫刻にも優れ、1453年に制作した「ピエロ・デ・メディチの胸像」は、今日知られるルネサンス期の肖像彫刻としてもっとも早い作例です。
1484年、フィレンツェで没。
ヨーロッパ近代絵画もコローやドービニー、クールベ、ブーダン、ブグロー、ピサロ、モネ、サージェント等、数は多くないものの粒は揃っています。ローランサンのサマーセット・モームの肖像画が珍しい。
アメリカ人画家も有名どころが殆ど揃っています。なかではイネスの「ヴァージニアの月明かり」に魅かれました。
ジョージ・イネスは何回か名前を出しましたがまだ説明していませんでした。
彼は1825年ニューヨーク州の農家に生まれ、15歳頃から絵画の修業を積み、トマス・コールが創始したハドソン・リバー派の影響を受けています。
1851年にパトロンの支援を受けてヨーロッパに渡り、緩やかな筆遣い、暗い色調、雰囲気を重視するフランス・バルビゾン派の風景画の影響を強く受けるのです。
帰国後たちまちアメリカにおけるバルビゾン様式画法の第一人者となり、さらに彼自身の画法に発展させ、後年はそれらを土台に、この絵にも見られるような神秘的表現による風景画を多く描きました。
神秘的表現はスウェーデン・バルト帝国出身の科学者・政治家・神秘主義思想家エマヌエル・スヴェーデンボリの影響を強く受けた事が大きい。
スヴェーデンボリは霊的体験に基づく大量の著述で知られ、彼の影響を受けた著名人としては、ゲーテ、バルザック、ドストエフスキー、ヴィクトル・ユーゴー、エドガー・アラン・ポー、ストリントベリ、ヘレン・ケラーなどがいます。
その中心的な思想は、「自然界のすべての物は霊的なものと相互通信を行っており、継続的に存在するために神からの "流入"を受け取る」というものです。
今から見れば彼の著述にはオカルト的な噴飯物の話が多いのですが、科学的な知識に乏しかった当時の人々には真面目な考察の対象と成り得たのでしょう。
イネスはスコットランドで1894年に亡くなります。享年69。同行した彼の息子によると、彼は夕日を見ながら、空中に手を広げ 「わが神よ!ああなんと美しい!」と叫んだ後、地面に倒れ伏し数分後には息がなかったとか。
イネスは自然の光や色彩を画面に取り込んだ詩情あふれる作風で「アメリカ風景画の父」と呼ばれています。
3階に上がるとアジア、アフリカ、中南米、ネイテイブ・アメリカンの美術品が集められていました。
日本の鎧、兜、刀剣、火縄銃、掛け軸などもありました。アメリカの美術館には世界の美術を平等に紹介しようと試みているところが多い。
メトロポリタンやボストン美術館のような観光客の多い所は別にして、何処でも西洋美術コーナー以外、見物客は全く見かけないのですが。
この美術館は庭も整美されていて、彫刻も配され、緑も映えて美しい。