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美術館訪問記 - 539 ブラントン美術館、Austin

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ブラントン美術館前景

添付2:ブラントン美術館エントランス・ホール

添付3:ヴェロネーゼ作
「大天使ミカエル頭部」

添付4:ヴェロネーゼ作
「ペトロベッリ祭壇画復元図」

添付5:シモン・ヴーエ作
「聖アグネス」

添付6:グエルチーノ作
「占星術の象徴」

添付7:国吉康雄作
「スパーフォークのウエイトレスたち」

添付9:ブラントン美術館前からの眺め

アメリカの中ほどを南に降りて行くとオースティンという都市があります。人口95万人余りの大都市で、1839年以来テキサス州の州都です。

この街のダウンタウンにテキサス大学があり、その広い敷地の南端にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア大通りに面してあるのが「ブラントン美術館」。

大学付属美術館とは思えぬ垢抜けたデザインの大きな美術館です。しかもブックショップなどの入ったオフィスビルは、同じような造りで別ビルになっていました。

1963年開館ですが、現在の新館は2006年にオープン。1万8000点近い所蔵品を誇り、大学付属美術館としては全米でも有数の規模です。

所蔵品は主にルネサンスとバロック美術、米国の20世紀と現代美術、中南米の20世紀と現代美術を含みますが、それ以外にも、多数の収集品があります。

ギリシャ、ローマ彫刻の部屋もありました。特に中南米の収集は1600点の作品があり、この種のものとしては相当に多い。

入ると目の覚めるようなブルーに塗られた斜めの壁と洒落たアーチが4つある空間が広がっていました。まるでモダンな宮殿のようです。

第461回で詳述したヴェロネーゼが2点ありましたが、その内男性の顔の肖像画は、所々太い白みがかった黄土色の線が大胆に掃かれ、どうも違和感がありました。

後程ブックショップで質問すると、何やら一生懸命探していましたが、小冊子を持って来て中程を開けて見せてくれます。

これがヴェロネーゼの巨大な祭壇画。それが幾つにも裁断されています。その中央に先程引っかかった男性頭部があるではないですか。

このような大きな絵の中であれば、強調した線が引かれるのは理解できます。

そのスタッフの話では、この祭壇画はある寺院にあったが、この絵を分割して方々に売り、利益を挙げた。少し前にその分割された全ての絵を集めた展覧会を催したばかりとか。

ここはバロックからロココにかけての作品が充実しています。

ヤン・ブリューゲル父やグイド・レーニ、ルーベンス、ストロッツィ、シモン・ヴーエ、グエルチーノ、クロード・ロラン、ルカ・ジョルダーノ、セバスティアーノ・リッチ、ドメニコ・ティエポロ等が勢揃い。

アメリカ絵画も充実しています。そのコーナーに当然のように国吉康雄の比較的初期の作品「スパーフォークのウエイトレスたち」がありました。

国吉については第106回で詳述しましたが、この絵が描かれた1924-5年にはニューヨークで最初の個展を成功裏に終え、生活も安定して来ており、夏は避暑地のメイン州オガンクィットで過ごしていました。

彼はこの頃オガンクィットの風景をよく描いていますが、色彩の使用は抑えられ、大地を覆う茶系が主要色となり、それに植物を連想させる緑が加えられるくらいです。

この絵では建物の明るい茶色と二人のウエイトレスの生き生きとした姿が、都会に生きる憂愁と倦怠、孤独感漂う女性像を多く描いた国吉とは趣を変えた避暑地でのゆったりと寛いだポジティブな感性を感じさせます。

ベン・シャーンの「あの日から続く日々」も目を惹きました。

ベン・シャーンは1898年、当時のロシア、現在のリトアニアの生まれでユダヤ人。1906年、アメリカに移民し、15才の頃からリトグラフの徒弟として働きながら、夜間高校へ通学しました。

1919年からニューヨーク大学、続いてニューヨーク市立大学、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインに学びます。

1929年ニューヨークで最初の個展を開き、恐慌の体験を通して、社会抗議の絵画を発表し続け、いわゆる「社会主義リアリズム」の代表的な芸術家として位置付けられています。

ジョットやクレーの様式を取り入れながら、アメリカの風土と民衆の情感を、油彩、水彩、壁画、リトグラフ、舞台装置など幅広い領域で表現し、また写真家、ポスター作家としても活躍しました。

1954年、太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験に遭遇し、乗組員たちが被爆した第五福竜丸の事件は、アメリカにとってはできれば蓋をしてしまいたい偶発的な出来事だったに違いありません。

しかし、そのアメリカに住み、事件を知ったベン・シャーンは、大きく揺さぶられ、やがてラッキードラゴン(つまり「福竜」)シリーズとしてこの事件を題材にした連作の絵画を制作し始めます。

この絵は第五福竜丸の無線技士、久保山愛吉が被爆した、どす黒い顔と手で対照的に清らかな肌の赤子を抱く姿を描いたものです。背景知識がなくても、時と場所を越えた悲劇を訴えかけて来る普遍性を感じます。

美術館を出ると真正面にテキサス州会議事堂のドームが見えました。



(添付8:ベン・シャーン作「あの日から続く日々」は著作権上の理由により割愛しました。
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