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美術館訪問記 - 538 ハイ美術館、Atlanta

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ハイ美術館前景

添付2:ハイ美術館前広場

添付3:ハイ美術館内部

添付4:ジョヴァンニ・ベッリーニ作
「聖母子」

添付5:リーメンシュナイダー作
「聖エリサベト」

添付6:モネ作
「ザーンダムの運河」

添付7:モネ作
「印象・日の出」 パリ、マルモッタン・モネ美術館蔵

添付8:アーサー・デイヴィーズ作
「空気、光、波」

添付9:アーサー・デイヴィーズ作
「ユニコーン」メトロポリタン美術館蔵

アメリカの東南端のフロリダ州の北に接するジョージア州の州都がアトランタ。人口約49万人、都市圏人口6百万人近い大都市です。

この町のミッドタウンにあるのが「ハイ美術館」。

1905年アトランタ美術協会として設立され、1926年ハイ家が自宅を美術館にするよう敷地も含め提供。これから現在名になります。

1955年には隣接地に新館が建設され、2005年に、これまでも何回か名前の出て来た美術館設計の大御所レンゾ・ピアノが新館を設計して現況となっています。

2012年に5回目の訪館をしたのですが、前回が2002年だったので、全体の構造も美術館前の広場も、いかにも近代的な佇まいに変わっているのに驚きました。

それまでなかった、自分の両手で目隠しした巨大な人形のような彫刻が広場の真ん中に鎮座しています。

建物内部も天井まで吹き抜けがあり、自然光がふんだんに差し込んで来て内部も明るく、そぞろ歩き回っていても気分爽快な造りです。

ここも1958年、サミュエル・クレスから29点のルネサンス、バロック絵画・彫刻の贈呈を受けたものがヨーロッパ古典部門の核をなしていますが、その後のヨーロッパ近代作品、アメリカ人芸術家作品の購入や寄贈により、アフリカ美術や装飾品、写真、素朴派作品、現代作品も含め15000点以上の所蔵品を誇る大美術館となっています。

古典部門ではジョヴァンニ・ベッリーニの「聖母子」とリーメンシュナイダーの彫刻「聖エリサベト」が光っていました。

これら2作家の作品が同時に鑑賞できるのはアメリカでは他にはメトロポリタン美術館とワシントン・ナショナル・ギャラリーだけです。

聖エリサベトは洗礼者ヨハネの母で聖母マリアの親類です。

ヨーロッパ近代作品部門ではモネの「ザーンダムの運河」が印象派のタッチになる直前の風景画で珍しいと思いました。

モネは1870年結婚直後に勃発した普仏戦争を避けてイギリスに渡ったのですが、翌年帰国前の数か月、オランダ、アムステルダムに隣接するザーンダムの町で数か月過ごしています。

この絵から1872年に彼が描き、1874年の第1回共同出資芸術家展に出展して印象派の名前の由来となった「印象・日の出」を想起する人はいないでしょう。

アメリカ人画家は一通り揃っていますが、これまで名前は出したものの説明していなかったアーサー・デイヴィーズを採り上げましょう。

というのもここにある彼の作品、「空気、光、波」の裸婦の群像の色調の変化の面白さに魅かれたからです。

彼は1862年、ニューヨーク州ユーティカの生まれで、子供の頃から絵を描くのが大好きな少年でした。家族がシカゴに移り、シカゴの美術学校で学習後、20歳でニューヨークに出、アート・ステューデンツ・リーグに入学。

デイヴィーズは雑誌のイラストレーターとして働きながら絵を描き続けました。30歳で結婚。相手のヴァージニアはニューヨーク州で最初の女医の一人でした。

この二人は複雑なカップルで、ヴァージニアは若い頃駆け落ちをした事があり、相手が麻薬中毒者でどうしようもない賭博常習者と判った時に殺害していたのです。勿論、彼女と彼女の両親はこの事は秘密にしていました。

一方のデイヴィーズは人付き合いの悪い事で有名でしたが、1928年、イタリアで休暇中に彼が急死した時にその理由が判明しました。

何と彼は二重結婚者で両方の相手と子供を持ち、家庭を維持し、外部には勿論、ヴァージニアにも25年間も気付かせることなく完璧な二重生活を過ごして来ていたのでした。

どうやったらそんな事が可能なのか私には想像もできませんが。

私生活とは関係なく、デイヴィーズのファンタスティックな絵は着実に売れ始め、定期的にヨーロッパに旅して巨匠たちの色彩感覚と構成力を採り入れて行き、40代でアメリカで最も成功し尊敬される画家の一人と言われるようになります。

デイヴィーズはザ・エイトのメンバーであり、1913年に開催された伝説的な美術展覧会アーモリー・ショーの企画者の一人であり、ロックフェラーなどの著名美術コレクターのコンサルタントであり、恵まれない芸術家達への援助を惜しまない慈善家でもありました。

アーモリー・ショーはニューヨーク、ボストン、シカゴを巡回した1200点もの印象派、新印象派、ポスト印象派、フォーヴィスム、キュビスムなど当時の最先端のヨーロッパ絵画を網羅した展覧会で、美術界に限らず、アメリカ文化に衝撃的とも言うべき大きな影響を与えた出来事でした。

デイヴィーズの画風はむしろ保守的でしたが、アーモリー・ショーの企画でも見られるように好みは前衛的で、1915年頃描かれた「空気、光、波」は自身の枠を抜けて新しい世界へ踏み込もうとしているかのようです。