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美術館訪問記 – 536 救済病院、Sevilla

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:救済病院正面 写真:Creative Commons

添付2:バルデス・レアル作
「世の栄光の終末」

添付3:バルデス・レアル作
「束の間の命」

添付4:ムリーリョ作
「受胎告知」

添付5:救済病院付属聖堂内部

添付6:ペドロ・ロルダン作
「キリストの埋葬」彫刻祭壇

添付7:パティオの壁のタイル画

前回バルデス・レアルの「受胎告知」がよい意味で私の予見を裏切ったと書きましたが、では彼の本来の作風とはどんなものなのか疑問に思われた方もおられるでしょう。

その答えは彼の代表作があるスペイン、セビーリャの「救済病院」にあります。

ドン・ファンのモデルと言われる貴族のミゲル・デ・マニャーラは放蕩な青春時代を過ごしますが、1661 年、妻が亡くなるとそれまでの人生を悔い、慈善団体であるカリダ信徒会に入会するのです。

やがて信徒会の会長に就任した彼はこの救済病院と付属する聖堂を建立し、その装飾にバルデス・レアルとムリーリョを当たらせます。

聖堂を入ってすぐの左右両側の壁を飾っているのがレアルの「世の栄光の終末」と「束の間の命」。220 x 216cmのキャンバスに描いた油彩画です。この2作が彼の代表作と見做されています。

「世の栄光の終末」は、上部からキリストの手が伸び、最後の審判を象徴する秤を支え、その秤の左側の皿には「ニ・マス(以上ではない)」、右側のサラには「ニ・メノス(以下ではない)」という文字が描かれています。

左の悪徳の皿には動物のシンボルを通して7つの大罪、右の美徳の皿の上には燃える心臓や聖体であるパン,ロザリオ,聖なる書物などが描かれています。

つまり、この秤には地獄に落ちるには7つの大罪の内の一つ以上が、天国へ行くには信仰だけが必要であることが示されているのです。

バルデス・レアルのこの絵は、残酷で不気味さを極めるかのようです。「悪臭が漂ってくる絵」と言う人もいます。

秤の下にはもはや髑髏と化した死体と棺桶に入ったばかりでこれから髑髏と化す死体が並んでおり、後者の顔の前には一匹のゴキブリを描いてみせるのですから。

手前側にあるのは明らかに高位の聖職者、右側は貴族の衣装を着けています。これら当時の最高権力者にも「死」というものは確実に訪れる。「死」の前では何をもってしても、結局は全て無に帰してしまうのです。

これと対になる「束の間の命」には左に棺を抱え、大きな鎌を持った死神が、地球儀や散乱する甲冑,マント,サーベル,棕櫚などを無残に踏みしだいて、今まさにその右手でろうそくの火を消した場面が描かれています。

死に神の右手の指さきにある文字が「In Ictu Oculi(束の間の命)」。

大理石の石棺を思わせる台には大きな燭台の他に、王冠、司教冠、聖職者の式服などが置かれ、高位聖職者の持つ錫丈が立てかけられています。これらのもの全てがこの世における富と権力の象徴なのです。

つまり、これらの2作は「富や権力に関係なく死は誰にでも平等に訪れる。良き死を望むのならば、信仰に基づく善き生を送りなさい」と言っているのです。

前回「画業では陽のムリーリョに対し陰、明に対して暗、美に対しては醜という対照的な立場のレアルですが、それだけに生の悲劇的な側面をリアルに表現するバロック絵画を代表する画家として、ゴヤの先駆者とも見做されます」と書いた私の心情をご理解いただけるのではないでしょうか。

一方のムリーリョはここに11作の祭壇画を残しています。

その内の4作は、1810年ナポレオンのスペイン侵攻の際、フランス人将校が略奪し、彼の死後売りに出され、今はロンドン・ナショナル・ギャラリー、オタワ・ナショナル・ギャラリー、ワシントン・ナショナル・ギャラリー、エルミタージュの4美術館に分散しています。

その4作は現在、複製画に代替されていますが、真作の一つ「受胎告知」を添付しましょう。

この救済病院は今でも本来の機能を維持しているようで、数人のお年寄りの姿を見かけました。パティオの周囲の壁の青色のタイル画も印象に残っています。