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美術館訪問記 – 533 アクロン美術館、Akron

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:アクロン美術館外観

添付2:アクロン美術館クリスタル・ビルディング

添付3:アクロン美術館内部

添付4:チェイス作
「白衣の少女」

添付5:チェイス作
「スタディオ内部」1882年頃
ブルックリン美術館蔵

添付6:チェイス作
「日本の着物を着た少女」
ブルックリン美術館蔵

添付7:フランク・ドゥフェネク作
「モリ―・ドゥフェネク嬢」

添付8:エリュー・ヴェッダー作
「眠れる娘」

ドイツの町、ABC順の美術館巡りもBが終わった所で半年が過ぎました。ドイツばかりでも食傷するでしょうから、次はアメリカをABC順に行きましょう。

オハイオ州アクロンはクリーヴランドの南50㎞程の所にある人口20万人足らずの都市ですが、この街の中心部分にあるのが「アクロン美術館」。

1922年の開館ですが、現在の新館オープンは2007年。

色々とガラスの出っ張りの付いた奇抜な建物で、国際的なコンペを勝ち抜いたウィーンの建築会社がデザインしたものです。

添付1の左側にある朱色の建物が1899年に建てられた旧館で、右側手前にあるのが新館。中央に両館のつなぎ役とビル内にある公共広場役を務めるクリスタル・ビルディングが設置されています。

このクリスタルの屋根というのか、窓というのか、壁というのか、その名の通り、ガラス張りの斜めの長方形が二つ並んだ形状は実にユニーク。

ユニークと言えば、その上に設置された「高屋根」あるいは「雲の屋根」程ユニークな建築物は世界中でもここだけのものでしょう。

この「雲の屋根」は四方に腕を伸ばした鉄の梁をアルミで包んでおり、総重量379トン。どういう実用性があるのか全く理解できませんが、旧館、新館、クリスタル全体を覆い、過去と現在を結びつける象徴だそうです。

とにかく類まれなこの建物は今やこの街のシンボルとして多くの観光客を惹き付けているようです。そういう点ではこれまで採り上げて来たスペインのグッゲンハイム美術館やダリ美術館同様、町興しに寄与しています。

内部も鋭角的な構造をしています。2階に上がると広い展示室。現代美術が並んでいますが、私の興味をひくものはありません。

そこを出て1階に降り、左手奥の19世紀から20世紀美術の部屋へ。導線の混乱した設計ですが、新旧の建物を結合したやむを得ぬ処置なのでしょう。

ここは入口にチェイスの「白衣の少女」という、濃い茶色の背景に白い服を着た少女が映える縦長の大きな絵がかかっていました。

チェイスが好きだったというディエゴ・ベラスケスの強い影響が見て取れます。

チェイスはアメリカの美術館ではよく見かける画家で、何回か名前は出しましたが、まだ説明していませんでした。

ウィリアム・メリット・チェイスは1849年、インディアナ州の靴屋の長男として生まれ、家業を手伝いながらも、画家になる夢を抱いていました。

19歳でニューヨークに出て美術学校で学び、2年間学習後、故郷に戻り、家業に従事しながら絵を描き、出展している内に地元の美術愛好家の目に留まり、作品と交換に2年間のヨーロッパ留学の費用を出してもらえることになります。

26歳でミュンヘン美術院に入学。2年間の滞在中にはヴェネツィアで9カ月間過ごしたりして修業に励み、フィラデルフィアの万国博覧会に出展した作品が賞を得て、彼の知名度は上がって行きます。

28歳で帰国し、ニューヨークにスタディオを構え、美術学校の教授にも就任。彼のスタディオは豪華な装飾品や家具で飾られ、当時の知識階級の社交場の役割も果たしていました。

彼は1896年、チェイス美術学校を設立。2年後にはニューヨーク美術学校となったこの学校で1907年まで教鞭を執り、夏は生徒たちを連れてヨーロッパでサマー・スクールを開催するなど、色々な教育活動に携わりました。

彼の生徒はジョージ・ベローズやマースデン・ハートレー、ジョン・マリン、ジョージア・オキーフ、エドワード・ホッパーなど錚々たる顔ぶれです。

1885年から10年間アメリカ芸術家協会の会長も務め、1916年、ニューヨークの自宅で死去。

彼は肖像画や風景画、静物画を油彩とパステルで多数制作したほか、水彩画やエッチングもよくし、彼がヨーロッパで修業していた頃吹き荒れていたジャポニスムの絵も幾つか残しています。

他には入口兼出口にフランク・ドゥフェネクの小振りですが印象的な彼の妹の肖像画がありました。彼の他の作とは全く異なる作風です。

ここはちゃんとしたブックショップがありましたが、カタログ本はなく、数葉の絵葉書中にエリュー・ヴェッダーの「眠れる娘」という一葉がありました。これもあまりヴェッダーの特色が出てない絵です。

裏に日本語で「アメリカの遺産―絵画の150年」とあります。1992年に山口県立美術館、福島県立美術館、高松市美術館で開催された特別展なのでした。

エリュー・ヴェッダーについては第311回を参照して下さい。