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美術館訪問記 - 528 ハーモ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ハーモ美術館外観

添付2:ハーモ美術館からの景色

添付3:アンリ・ルソー作
「果樹園」1886年

添付4:アンリ・ルソー作
「花」1910年

前回名前の出た「ハーモ美術館」は長野県下諏訪町の諏訪湖畔の緑に囲まれた豊かな自然の中にあります。

美術館の真正面は、諏訪湖を取り巻く外輪山が切れ込んでおり、天気の良い日には富士山をその間から望むことができます。

コンクリート打放しの半円が交差したユニークな美術館は、産業用ロボットメーカー、ハーモの創業者、濱富夫により1990年に開館。

館長の関たか子の主張、「小さな美術館は、特色がなければ大美術館にかなわない。一つの視点、思想で収集した作品が絶対に必要」から、素朴派に的を絞った、日本ではここだけしかない、その点でもユニークな美術館です。

前回触れたアンリ・ルソーの作品を小品ばかりながら9点も所蔵しています。

これは凄い事で、ルソーは生涯で250点ほど油彩画を制作したとされますが、その内の100点近くは失われています。ほとんどが雑貨店や洗濯女などへの支払いのために現物を渡し、行方不明になったものなのだとか。

ルソー初期の「果樹園」や最晩年の「花」もありました。

前回添付写真だけお見せしたアンドレ・ボーシャンの「フルーツのある風景」他数点もありました。

ボーシャンは1873年フランスの庭師の息子として生まれ、庭師の修業中に、第一次世界大戦の兵役となり、司令部付きの製図家となります。

製図の見事さに感心した上官のすすめでデッサンを始め、1917年、44歳にして初めて油絵に手を染めるのです。

戦後苗種栽培業をやめて画家に転向、1921年にはサロン・ドートンヌに出品。ル・コルビュジェに認められ、芸術家として一本立ちします。

ボーシャンは、本業の植木職人らしく植物を中心とした静物画や風景画に本領を発揮しますが、素朴派画家には珍しく神話画や歴史画も描いています。子供の頃から読書好きだった事が寄与しているのでしょう。

ボーシャンの絵には描くことの喜びと花々への愛情が満ち溢れており、それらが観る人の心を揺さぶらずにはいられないように感じます。

素朴派画家としては最高の成功を収め、栄光の内に85歳で没。

カミーユ・ボンボワは1883年、フランス生まれ。父親が船頭だったため少年時代を運河の曳船の上で過ごし、画家となってからは水面に映る風景や豊かな流れを多く描くようになります。

彼は生まれながらの画家とでも言うべく、子供の頃から絵を描くことが大好きだったのですが、12歳で農場に働きに出され、その後サーカスのレスラー、道路工事夫、印刷工などとして働きながら、睡眠を惜しんで作品を描き重ねました。

39歳の時、モンマルトルの舗道に作品を並べたところ、運よくコレクターで、画商、批評家、素朴派の名付け親でもあったウィルヘルム・ウーデに認められ、彼の助力で制作に専念できるようになったのです。

ボンボワの作品は、風景画であってもそこかしこにユーモラスな人物が描かれ、美しい水と緑の輝きの中に、人々の営みが活き活きと描かれています。

そこはかとない悲哀とユーモアが入り混じった彼の作品は,評価され,晩年は画家として恵まれた生活を送りました。

まだまだある素朴派の画家たちの作品以外にも、ダリのブロンズ作品や、ルオー、マティス、シャガール、ビュフェ、ミロ、荻須高徳、藤田嗣治などもありました。

現在はどうか知りませんが、私が訪れた26年前は館内撮影禁止だったので、写真は美術館のホーム・ページから借用しました。



(添付5:アンドレ・ボーシャン作「花と木」、添付6:アンドレ・ボーシャン作「フルーツのある風景」、添付7:カミーユ・ボンボワ作「池の中の帽子」、添付8:グランマ・モーゼス作「春の花々」および添付9:サルヴァドーリ・ダリ作「時のプロフィール」は著作権上の理由により割愛しました。
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