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美術館訪問記 - 527 シャルロッテ・ツァンダー美術館、Bönnigheim

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:シャルロッテ・ツァンダー美術館正面

添付2:シャルロッテ・ツァンダー美術館内部

添付3:アンリ・ルソー作
「ブローニュの森の眺め」

添付4:アンリ・ルソー作
「蛇使いの女」オルセー美術館蔵

添付6:アンリ・ルソー作
「魅力」

添付9:シャルロッテ・ツァンダー美術館内部

シュトゥットガルトの北30km余りの所にベンニクハイムという町があります。ここにあるのが「シャルロッテ・ツァンダー美術館」

ミュンヘンの画廊のオーナーだったシャルロッテ・ツァンダーが45年間にわたって収集した素朴派やアール・ブリュット、アウトサイダー作品を展示しており、4500点以上の絵画・彫刻を集める世界最大の素朴派コレクションです。

アール・ブリュットとアウトサイダーについては第466回を参照して下さい。

44カ国、321人の芸術家の作品を所蔵しているとか。

1996年に開館した美術館の建物は1756年に夏の居城として建てられたものです。

建物に入ると受付に人がいません。声をかけると、近くの作業場から小柄な女性が出て来ました。この美術館の学芸員さんでした。

日本から夫婦で来たと言うと驚いた様子で矢継ぎ早に質問して来ました。英語です。途中、美術館の事についてもいろいろ説明してくれました。

「どうしてここを知ったのか」、「何に興味があるのか」

「絵画全般に興味があり、世界の美術館巡りをしていて、素朴派美術館ではニースやローザンヌなども行きました」と答えると、

「ニースの素朴派美術館とはよくコラボレーションしていますよ」「ニューヨークの美術館とも。日本ではハーモ美術館とね」

「ここは3時に閉めるけど、あなたが必要なら何時までいてくれても構いません」「質問があれば、何時でも聞いて下さい」など。

確かにこの美術館について日本で紹介している記事を見た事はなかったので、日本からの訪問者は余程珍しかったのでしょう。もっとも、滞在中他の客は一人も来なかったので知名度は低そうですが。

3階建て。時代物のためか、床は木造でよく軋みます。個人の住宅が美術館になっているもの以外で床の軋む美術館というのは他に記憶がありません。

内部は広く、訪れた日には43の展示室や通路に570点の絵画と幾つもの彫刻が展示されていました。素朴派を世に認知せしめたアンリ・ルソーの作品は11点ありましたが、いずれも小品でした。

考えてみると、アンリ・ルソーはまだ説明していませんでした。

アンリ・ルソーは1844年、フランス、ラヴァルの生まれ。高校中退後、一時法律事務所に勤務。1863年から5年間の軍役を経て1871年、パリの入市税関の職員に奉職。

19世紀半ばを過ぎると市民階級にゆとりができ始め、チューブ絵具も一般的になり、ゴーギャンのような日曜画家が出て来ます。ルソーもその一人。

1886年からら会費を払えば誰でも無審査で出展できる、アンデパンダン展に出品を始め、同展には終生出品し続けます。

ルソーは税関に22年ほど勤務した後、絵に専念するため1893年、49歳で退職して、早々とゆとりのない年金生活に入っています。

一見、子供の描いたように稚拙に見える彼の絵は常に嘲笑の的でした。展覧会ではある意味道化師。添付の「ブローニュの森の眺め」でも左側前面の2本の木は斜面に対して垂直に描こうと考えたのでしょう、自然界には有り得ない形状となっています。

しかし、1907年に発表した「蛇使いの女」で画家への嘲笑はピタッと止んだのです。「美術教育により多くのアーティストに閉ざされてしまった霊的な世界、人間の根源的な部分へルソーはその純粋さで到達しているのだ」といった評価を同時代の芸術家から受け、一気に有名人へ。

ただ、ピカソやロベール・ドローネー、ゴーギャンなどは前から評価していました。「蛇使いの女」はルソーの作品を賞賛していたドローネーが母親の伯爵夫人ベルトに薦めて依頼したものでした。

ベルトはインドへ行ったことがあったので、エキゾティックな主題は彼女にふさわしいものだったのです。

ピカソは自分でもルソーの絵を購入していますし、1908年には自ら主宰して、友人たちを集め、「アンリ・ルソーの夕べ」という彼を称える会を開いてもいます。

この時、ルソーがピカソに言った言葉が「君と僕は現存する最大の画家だ。もっとも君は様式的にはエジプト風で、僕は現代風だけどね」。

ピカソが1907年に描き、ジヨット以来、最も革新的な絵画とまで言われ、近代絵画の起爆剤となった「アヴィニョンの娘たち」中の左端の女性は、古代エジプトの絵のように横向きながら、目は正面を向いて描かれている事を揶揄したものですが、ルソーの諧謔精神と自信が窺えて面白い。

ルソーの出現により、正式な美術教育は受けたことがないものの、独学ゆえにかえって素朴さや独創性が際立つ作品を生み出す画家達を「素朴派」と呼ぶようになったのです。

素朴派は「派」とは言っても、印象派やナビ派などのように志を同じくする画家達の集まりではなく、個人個人には何の関係もありません。

他にもあった多数の素朴派の作品の中から、アンドレ・ボーシャンとカミーユ・ボンボワの作品を添付しましょう。



(添付5:ピカソ作「アヴィニョンの娘たち」ニューヨーク近代美術館蔵、添付7:アンドレ・ボーシャン作「自画像」 および 添付8:カミーユ・ボンボワの4作 は著作権上の理由により割愛しました。
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