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美術館訪問記 - 523 新国立美術館、Berlin

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:新国立美術館外観

添付2:新国立美術館の柱

添付3:1986年発行ミースの生誕100年記念切手

添付4:新国立美術館地上階内部

添付5:新国立美術館地下階内部

添付7:キルヒナー作
「ポツダム広場」1914年作

ベルリン最後の美術館は「新国立美術館」。ベルリン市内中心部にあり以前採り上げたベルリン絵画館の直ぐ傍にあります。

1968年に開館。設計は近代建築三大巨匠の一人、ミース・ファン・デル・ローエ。ちなみに他の二人はル・コルビュジエとフランク・ロイド・ライト。

ミースは1886年、ドイツ、アーヘンの生まれです。正式な建築の教育は受けておらず、地元の職業訓練学校で製図工の授業を受けたのみで、後は実務で鍛え上げた逸材です。

“Less is more”「より少ないことは、より豊かなこと」や“God is in the detail”「神は細部に宿る」という標語が有名で、モダニズム建築のコンセプトの成立に貢献した建築家として知られています。

新国立美術館はミースの手による建築自体が作品と言えます。独立した建築としては、彼の最後の作品でもあり、美術館の開館直後に亡くなりました。

大きく張り出した黒っぽい鉄製屋根は、遠くからも目立ちます。屋根はたった8本の柱で支えられ、4つの面にそれぞれ2本の柱があります。柱のすぐ後ろの建物本体は全面ガラス張りです。

過剰な装飾が主流だった当時に、突如現れた、この最強に無駄を省いた建築は革命的だった事でしょう。

十字形の柱はミース建築の特徴的なポイントで、彼の特許扱いらしく、この柱があればミースの建築と分かるトレードマークのようです。

地上階を構成する要素はこれだけで、内部には柱が1本もなく、余分なものが一切ない研ぎ澄まされた空間。

ここは堂々たるエントランス・ホールとして、様々な企画展が開催されます。下には地下階があり、常設展示用として使用されています。

1986年にはミースの生誕100年を記念して切手が発行されました。ミースの肖像の背後にはこの新美術館の建物があります。

1998年に最初に訪れた時はエントランス・ホールでアーノルド・ベックリンの企画展をやっており、それでベックリンを強く認識した覚えがあります。

2013年に訪館した時はエントランス・ホールには彫刻がまばらにあるだけで他は何もない空間が広がっているのみでした。

この美術館には20世紀美術の歴史を俯瞰するような西洋絵画や彫刻が5,000点以上も所蔵されているということですが、地下展示会場には現代作家の面白くも何ともない作品が殆どなのでした。

その中で目を惹いたのはクリスチャン・シャドの「ソーニャ、1928」。まさにシャドというべき切れ味のよい絵です。

「ヨーロッパ各地に滞在した中で私が出会った、最も控えめで、身だしなみの整った、最も美しい女性はベルリンの女性でした」とシャドは書いています。

ソーニャの首筋にあるシルク製のピンクのバラとその隣のボトルは、何やらエロティックなイメージを秘めていそうです。

後ろの二人の男性の奇妙なカット・アングル、吸いかけのシガレットを持つソーニャの手と机上に置かれたキャメルの箱、1920年代のモダニズムが垣間見えます。

キルヒナーがベルリンの街頭風景を描いた一連の絵画中の最高傑作とされる「ポツダム広場」もここにありました。

ポツダム駅の赤い煉瓦を背景に、その色と補色関係にある不気味で退廃的な緑色が鋭角的に描かれた道路を覆い、その中心にけばけばしい羽根飾りのついた帽子を被った二人の娼婦が立っています。

第一大戦勃発時のベルリンの不安と不気味な陰鬱に充ちた心理的な様相を象徴的に描いた作品と言えるでしょう。

他にはフランシス・ベーコンやピカソ、ロスコ、ウォーホルなどもありました。



(添付6:クリスチャン・シャド作「ソーニャ、1928」 および 添付8:フランシス・ベーコン作「イザベル・ローソーンの3習作」は著作権上の理由により割愛しました。
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