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美術館訪問記 - 521 新博物館と旧博物館、Berlin

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:新博物館外観

添付2:旧博物館正面

添付3:旧博物館外壁の一部

添付4:旧博物館エントランス・ホール

添付5:古代ギリシャ時代の大杯

添付6:旧博物館ポスター 2008年

添付7:トトメス作
「ネフェルティティ像」

添付8:ネフェルティティ像右側

添付9:古代エジプト壁画断面

添付10:旧博物館柱廊

新年おめでとうございます。2012年1月に第1回を送付してから早10年。新しい年が皆さまにとって良い年でありますように。本年も宜しくお願い致します。

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前回のペルガモン博物館の南隣にあるのが「新博物館」。ボーデン通りを隔ててその南隣にあるのが「旧博物館」。

新博物館は1855年に開館した歴史ある博物館ですが、第2次世界大戦の被害で閉館が続き、修復が完了し再び開館したのが2009年。

実は私は新博物館には入館していません。現在新博物館に所蔵されている古代エジプトの考古学的発掘品は2009年までは旧博物館に展示されていました。

私達が旧博物館を訪れたのが1998年8月と2008年6月。今回お見せする写真は全て2008年当時のものです。

ベルリンはその後、2013年と2016年にも再訪していますが、絵画に主たる興味がある私は、絵画のない博物館に時間を割くよりも、好きな美術館や絵画館を2度、3度訪れる方を優先しました。

なお古代エジプト・コレクションは2005年までは第517回のシャルフ・ゲルステンベルク・コレクションの建物でエジプト博物館として公開されており、1998年にはそこを訪館してもいます。

ベルリンにある主な美術館、博物館は全て国立となっており、統一的な視点で一元管理されているのです。

旧博物館は建築家カルル・フリードリッヒ・シンケルの設計をもとに1823年から1830年にかけて建設され、1845年まで王立博物館と呼ばれていました。博物館島で最初に開館した博物館です。

この歴史的に由緒ある建物は、新古典主義様式建造物の中でも最も評価されているものの一つで、シンケルの代表作とされています。

旧博物館の外壁には第二次大戦中の銃弾跡が生々しく残っていました。

中に入ると中央は円形の部屋で、23mの半球形の天窓がある吹き抜け。20本のコリント様式円柱で支えられた展示室がその周りを囲んでいます。

内装は長方形の窪んだパネルで格子状に装飾されており、博物館所蔵の古代ギリシャ・ローマの彫像が20本の円柱の間に展示されていました。

方々の博物館でよく見かける古代ギリシャの壺絵が幾つも陳列されていましたが、玉杯のような大皿に描かれた絵画の鮮やかさには目を見張りました。

現在は新博物館にある古代エジプト・コレクションの白眉は「ネフェルティティ像」。旧博物館にあった時もポスターの中央を大きく飾っていました。

像は紀元前1345年頃トトメスの作。1912年、エジプトのアマルナで発掘されました。

ネフェルティティは古代エジプト第18王朝のファラオ、アメンホテプ4世の王妃で、娘の夫が誰もが知るツタンカーメン。

クレオパトラ、ネフェルタリと共にエジプトの三大美女としても知られています。

ネフェルティティは夫と共にアマルナ革命と言われる革命を起こしています。この革命は世界最初の一神教を唱えるもので、それまでの多神教信仰を覆し、太陽神アテンのみを信じる一神崇拝にするものでした。

これが後のユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教の母体となったとされ、後世の世界に多大な影響を与える基となったのです。

像の左目は発見当初から無く、発見現場からは見つからなかったそうです。

実際にネフェルティティが失明していたのではないかという憶測は、他の彼女の彫像では左目が表現されていることから否定されています。

エジプト博物館館長はこの像は公式の肖像を作成するためのモデルであり、目の内部の彫刻方法を弟子たちに教えるために、左目は作成されなかったのではないかと推測しています。

元々あったものが欠落したという説や作成途中の未完成品だという説もあり真相はわかりません。

当の本人はそんな事は無頓着に神秘的な美しさで佇んでいますが。

他では実に現代風な若い女性の壁画断片が気になりました。

出がけに見た旧博物館の柱廊も印象的でした。