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美術館訪問記 – 510 シュトゥパッハ聖母教会、Bad Mergentheim

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:シュトゥパッハ聖母教会外観

添付2:シュトゥパッハ聖母教会内部

添付3:グリューネヴァルト作
「シュトゥパッハの聖母子」

添付4:グリューネヴァルト作
「雪の聖母」
フライブルク、アウグスティーナ博物館蔵

添付5:主祭壇のピエタ像

グリューネヴァルト作の「シュトゥパッハの聖母子」の本物はバート・メルゲントハイムの「シュトゥパッハ聖母教会」にあります。

アシャッフェンブルクの南東70㎞余りの場所にある田舎町の丘の上に建つ単廊形式の小振りな教会です。

「シュトゥパッハの聖母子」は元々三翼祭壇画でしたが、左翼部分は消失しています。

中央部分の「聖母子」と右翼の「雪の聖母」は厚い防弾ガラスで保護されており、3m以内には近付けません。但しここにある「雪の聖母」は複製で、本物はドイツ、フライブルクにあるアウグスティーナ博物館に展示されています。

前回で触れたようにこの祭壇画は、アシャッフェンブルクのシュティフト教会の礼拝堂に飾るためにハインリッヒ・ライツマンが1514年頃注文したものですが、1531年以降行方不明になっていました。

中央部分のみが再発見されたのは1809年のことで、メルゲントハイムにあるドイツ騎士団所有の古い城の礼拝堂の中から見つかったのでした。

1812年、シュトゥパッハ教会の牧師がその絵を教会に飾るために購入。当時はルーベンスに帰属するとされていました。ルーベンスの画風とは全く異なりますが、美術館も数少なかった時代で絵を鑑別できる人は少なかった。

1881年、絵を修復する必要が生じ、この時、作者がグリューネヴァルトと判明。名の知られたルーベンスの作品ではなかったと知ってシュトゥパッハ教区の人々はがっかりしたという話が残っています。

「シュトゥパッハの聖母子」は最近修復されたのでしょう500年以上前に描かれたとは思えない鮮やかな色彩を保ったグリューネヴァルトの傑作は、隅々までクリアに鑑賞できます。

聖母の縮れた金髪は豊かに腰の辺りまで届いており、マグダラのマリアと見間違うようでもありますが、右下に聖母マリアを象徴する白百合と薔薇が大きく描かれています。

聖母マリアは左手の親指、人差し指、中指の三指を合わせていますが、これはマリアの右手に抱かれて、マリアの膝の上に立つ幼子キリストが三位一体である事を示しています。

三位一体とは、キリスト教において、父なる神、神の子キリスト、聖霊の三つが一体の唯一神であるという教義です。

聖母子の後方には大聖堂と建物のある風景が描かれています。その中央には虹がかかっています。虹は天と地を繋ぐものという聖母マリアの暗示でもありますが、この絵以前に虹のある聖母子像を観た記憶がありません。

右翼の「雪の聖母」は伝説に基づいたもので、西暦4世紀、ローマにジョヴァンニ夫妻という信仰深い貴族がいました。夫妻は裕福だったが彼らの間には子供がなかったことから、自分たちの富の相続人に聖母を選びます。

時の教皇リベリウスはそれを知って夫妻に聖母に子供を授かる方法を尋ねるよう提案し、夫妻はそれに従います。358年8月5日の夜、夫妻とリベリウスの夢に聖母マリアが出現し、雪が降る丘を目印にして、そこに教会を建てれば、望みが叶うだろうと告げます。

翌朝、冬ですら降雪量の少ないローマでエスクイリヌス丘の頂上に雪が降り、この雪で覆われていた部分を中心にして、聖母マリアに捧げる聖堂が建設され、ジョヴァンニ夫妻は果たして子供を授かったという。

教皇は8月5日をカトリック教徒の休日と定め、14世紀にはこの休日はイタリアに広まり、現在でも「雪の聖母」に捧げられた教会はイタリア中に142もあるのだとか。