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美術館訪問記 – 506 テルニ市立絵画館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:テルニ市立絵画館正面

添付2:ピエルマッテオ・ダメリア作
多翼祭壇画「聖母子と聖人達」

添付3:ピエルマッテオ・ダメリア作
「聖母子」

添付4:ピエルマッテオ・ダメリア作
プレデッラ「キリスト磔刑」

添付5:ベノッツォ・ゴッツォリの「聖カタリナの神秘の結婚と三聖人」

添付6:オルネオーレ・メテッリ作
「踏切」

添付7:オルネオーレ・メテッリ作
「自画像」

添付8:デュフィ作
「ダンス」 木版画

前回紹介したピエルマッテオ・ダメリアの最高傑作があるのはイタリア、ローマの北70㎞余りの町、テルニにある「テルニ市立絵画館」。

絵画館は公園のような場所の奥にあり、入場券は広場の向いの建物の1階で買うようになっていました。

入って直ぐピエルマッテオ・ダメリアのプレデッラ付きの多翼祭壇画が目に入りました。この一部屋を占有するような大作(393 x 332cm)でピントゥリッキオの気品と優雅さに通じるものを感じました。

前回で触れたようにピエルマッテオがシスティーナ礼拝堂の天井画を描いていた時に、ペルジーノとピントゥリッキオの師弟も同礼拝堂の壁画を任されていたので、その時に影響を受けていたのかもしれません。

この多翼祭壇画は1485年の完成なので、システィーナ礼拝堂へ赴いてから6年後であり、時間的にも符号があっています。

多翼祭壇画の中心を飾る聖母子のマリアの佇まいが好もしい。

絵画を観る喜びというのはこういう絵を観る時の幸福感とも言えるでしょう。永年培われて来た伝統に基づいた安定感と安心感、調和感とでもいうのでしょうか。勿論そういう感覚の根底には絵としての美的条件が整っている事が必要ですが。

5つあるプレデッラも人任せずにせず、ピエルマッテオ本人が描いたようで力が入っています。中央部分の「キリスト磔刑図」を添付します。

近くにベノッツォ・ゴッツォリの「聖カタリナの神秘の結婚と三聖人」があり、これも佳品です。

聖カタリナはアレクサンドリアのカタリナとも呼ばれ、エジプト、アレクサンドリアの王家の娘で、教養高く、キリスト教に帰依し、ローマ皇帝の求婚を拒絶したため、車輪に手足を括り付けられて転がされるという拷問に処されようとされますが、車輪が雷電で壊れたため、斬首されたとされます。

このため、彼女は車輪や、死に対するキリスト教の勝利を意味する棕櫚や、彼女の高い教養を示す書籍などと共に描かれることが多い。

また彼女は、天国へ運ばれ、そこで聖母マリアによって、キリストと婚約させられるという幻視を見たとされ、「神秘の結婚」というタイトルで絵画の主題にも多く登場します。

この絵では聖母子が中心に描かれ、聖カタリナは脇役扱いですが。

古典ばかりでなく近代絵画も多く、テルニで生没したオルネオーレ・メテッリの作品群がアンリ・ルソーのようなとぼけた味わいがありました。

1872年、テルニに生まれたメテッリは、靴職人だった父にその技術を学び、靴のデザイナーとして、国際的なコンクールで多くの賞を受けています。

一方テルニ市のオーケストラでは、何年にもわたってトロンボーン奏者を務めていたのですが、50歳半ばで体を壊しトロンボーンを断念、一転して絵を描くようになるのです。

メテッリは、美術業界に売り込むことも、展覧会に出展する事もなく1938年死亡。しかし1936年友人となったテルニの若い彫刻家がメテッリの才能を確信し、メテッリの死後、彼の作品のプロモーションに奔走するのです。

1947年、スイスのベルン美術館を皮切りにスイス国内で開催されたメテッリの個展は成功し、彼はイタリア素朴派の第一人者と任じられる事になったのでした。

この絵画館には他にもオットー・ミューラー、シャガール、レジェ、デュフィ、ジャン・コクトー、マックス・エルンスト、ピカソ等の版画作品がありました。