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美術館訪問記 –505 リンデナウ美術館、Altenburg

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:リンデナウ美術館正面

添付2:リンデナウ美術館内部石膏彫刻室

添付3:リンデナウ美術館内部

添付4:マザッチョ作
「オリーブ山の祈りと聖ヒエロニムスの祈り」

添付5:ベッカフーミ作
「聖家族」

添付6:ピエトロ・ロレンツェッティ作
「聖母子」

添付7:ロレンツォ・モナコ作
「エジプトへの逃避」

添付8:ピエルマッテオ・ダメリア作
「聖マグダラのマリア」

添付9:ピエルマッテオ・ダメリア作
「洗礼者ヨハネ」

添付10:ピエルマッテオ・ダメリア作
「受胎告知」
イザベラ・ステュワート・ガードナー美術館蔵

ドレスデンの西100㎞足らずの町、アルテンブルクには「リンデナウ美術館」という、日本では全く知られていない素晴らしい美術館があります。

何しろフラ・アンジェリコ、マザッチョ、ベッカフーミ、ボッティチェッリ、ドメニコ・ギルランダイオ、フィリッポ・リッピ、ピエトロ・ロレンツェッティ、ロレンツォ・モナコ、ペルジーノ、ルカ・シニョレッリ等が綺羅星の如く勢揃いするのですから。

世界に数ある美術館の中で、これだけのイタリア・ルネサンス絵画が揃う所は他にはありません。ウフィツィ美術館にもピエトロ・ロレンツェッティはなく、メトロポリタン美術館にはマザッチョとベッカフーミがなく、ルーヴル美術館にはマザッチョもピエトロ・ロレンツェッティもないのです。

これらのコレクションは、天文学者でザクセン王国の大臣を務めたこともあるベルンハルト・アウグスト・フォン・リンデナウ男爵(1779-1854)が収集し、アルテンブルク市に寄贈したものなのです。

リンデナウ・コレクションは1848年には一般公開されています。

現在の宮廷公園の端に位置するネオ・ルネサンス様式の瀟洒な建物は1876年完成。この建物内部には中央に広場や階段がありその両側に展示室があります。

1階の右側はギリシャ彫刻やミケランジェロ彫刻の石膏作品が陳列され、左側は企画展に充てられています。

2階がイタリア美術コレクションで、これが前述のように凄かった。グイド・ダ・シエナやリッポ・メンミ、タッデオ・ディ・バルトロなどの13世紀から14世紀にかけての画家たちの作品まであります。

これら13世紀から16世紀までのイタリア絵画のパネルは総数180点余りでイタリア以外では世界最大のコレクションの一つと言えます。

これまで名前を出したことのないピエルマッテオ・ダメリアの作品2点もあったので、この機会に紹介しておきましょう。

ピエルマッテオはローマとペルージャの中間辺りにあるアメリアに1448年頃誕生。1467年から69年にかけてフィリッポ・リッピの弟子兼助手としてスポレート大聖堂の装飾を手伝ったというのが初出の記録です。

1479年、法王シスト4世にローマに呼ばれ、法王の名を冠したシスティーナ礼拝堂の天井の装飾を依頼されます。

パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂にあるジョットのフレスコ画に類似した,澄んだ青色に塗られ、金色の星をちりばめた美しいものだったといわれます。

シスト4世が財にあかして製作させたシスティーナ礼拝堂は力学的に問題が多く、1504年には壁に大きな亀裂が入ってしまいます。

当時の法王はシスト4世から4代後のジュリオ2世。彼もシスト4世と同じデッラ・ローヴェレ家の出身で、伯父の意思を継ぐべくこの不安定な壁を作り直し、新たにミケランジェロに壁画の作成を命じたのでした。

ピエルマッテオはその後ローマを中心にアメリア近くのナルニやテルニ、オリヴィエートなどで活動し、1508年頃没しています。

ここにはピエルマッテオの「サンタゴスティーノの祭壇画」中の2枚のパネル、「聖マグダラのマリア」と「洗礼者ヨハネ」がありました。二人の衣の色彩が豊かで表情と絵に気品があります。

第12回で紹介したボストンのイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館にもピエルマッテオの「受胎告知」がありました。