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美術館訪問記 – 503 カザン大聖堂、サンクト・ペテルブルク

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:カザン大聖堂正面 写真:Creative Commons

添付2:ファティマのイコン

添付3:カザン大聖堂右翼

添付4:カザン大聖堂内部

添付5:カザン大聖堂のドーム天井 写真:Creative Commons

添付6:カザン大聖堂左翼端のバルクライ・ド・トーリ元帥像

サンクト・ペテルブルクにはいくつかの大聖堂がありますが、その内の一つ、貴重な建築物である「カザン大聖堂」を採り上げてみましょう。

ロシア正教会では珍しいカトリック風の96本もの列柱を持つ聖堂で1811年完成。サンクト・ペテルブルクのロシア正教会の首座教会です。

設計者はアンドレイ・ヴォロニーヒン。彼は、聖堂建築に当たって、ローマのサン・ピエトロ大聖堂を手本にしたとの事ですが、ロシア正教会側は、ローマ・カトリックの総本山たるサン・ピエトロ大聖堂の模倣であると拒んだのですが、結局宮廷がサポートして原案通り建築。

ロシアの宗教建築としては最初のヨーロッパ風建物となりました。

完成翌年には、ナポレオン戦争勝利を記念する建築物となった聖堂は、ロシア革命後閉鎖され、1932年には無神論博物館とされましたが、1996年にロシア正教会に正式に返還されました。

実はカザン大聖堂はモスクワにもあり、カザン教会はロシア各地にもあります。これらの聖堂は、ロシア正教会において最重要視されるイコンの一つ、「カザンの生神女」を祀っているのです。

生神女(しょうしんじょ)とは、「神を生みし女」を意味し、正教会におけるイエスの母マリアに対する敬称です。正教会では「聖母」は用いられず「生神女」が使用されます。

伝承によれば、カザンの生神女は、コンスタンティノープルで作られたイコンで、1439年紛失しますが、1579年、幼い少女マトリョーナによってモスクワの800㎞程東にあるカザン市の地下から発見されます。マトリョーナの夢に生神女マリアが現れて、イコンのある場所を明らかにしたのだといいます。

オリジナルのイコンは、時のイヴァン4世の命により、イコンの発見を記念して建てられたカザンの生神女聖堂に納められ、同所にカザンの生神女女子修道院が創建されました。

このイコンの複製は各地のカザン聖堂やロシア正教会にも掲げられました。

ところがこのイコンは1904年、盗難にあい、破壊されたとも、イギリスの探検家マイク・ヘッジが1953年、購入し、1970年、ポルトガルのファティマに安置されたとも言われます。

この「ファティマのイコン」は1993年、法王ヨハネ・パウロ2世へと献上され、法王執務室の壁に飾られた後、2004年、モスクワに返還されました。2005年、発見地であるカザンの生神女聖堂に納められたのです。

カザン大聖堂の両側に半円状に弧を描くコリント式列柱の回廊を嘆賞しながら中に入ると荘厳な雰囲気で、何より奥正面のカザンの生神女のイコンが印象的で、敬虔な信者が頭を垂れて祈っています。

内部の写真撮影は禁止で、添付写真はWebで公開されているものを使用しました。

生神女のイコンの一角はロシア正教の信者のみが入れますので、観光客は遠くから見守る形になります。いかにロシア正教徒がイコンを大切にしているかが分かる聖堂といえるでしょう。

カザン大聖堂の左翼端にはナポレオン戦争や第二次ロシア・スウェーデン戦争の英雄バルクライ・ド・トーリ元帥の銅像が陽光を浴びて佇立していました。