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美術館訪問記 – 502 ロシア美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ロシア美術館正面 写真:Creative Commons

添付2:ロシア美術館内部

添付3:アンドレイ・ルブリョフ作
「二人の聖パウロ」

添付4:カール・ブリューロフ作
「ポンペイ最後の日」

添付5:イワン・アイヴァゾフスキー作
「第九の波」

添付6:イリヤ・レーピン作
「ヴォルガの船曳」

添付7:ミハイル・ヴルーベリ作
「6翼の熾天使(アズラエル)」

添付8:ボリス・クストーディエフ作
「商人の妻」

サンクト・ペテルブルクにはロシア最初の国立美術館「ロシア美術館」があります。

1898年にロシア皇帝ニコライ2世によって父帝アレクサンドル3世を記念して創立され、最初のコレクションは、エルミタージュ美術館および、アレクサンドロフスキー宮殿、ロシア帝国美術アカデミーの収蔵品から移動。

1917年のロシア革命後、多くの個人蔵のコレクションが国有財産となり、ロシア美術館の収蔵品となりました。現在では40万点以上の所蔵品があり、ロシア美術では世界最大のコレクションを誇っています。

アレクサンダー1世の弟ミハイル・パヴロヴィッチ侯爵が建てたミハイロフスキー宮殿を使用しており、19世紀初頭におけるロシア新古典主義建築の傑作です。現在はその左手にロッシー翼とベノア翼が継ぎ足されています。

広大な美術館で常設展用85室、企画展用も含めると98室もあるのです。

膨大な展示品の中から、幾つか印象に残った作品を年代順に挙げてみましょう。主要作品にはロシア語と英語で作者名とタイトルが表示されていました。

最初に大階段で2階まで上がり、1号室から4号室まであるイコンを観ました。

まずアンドレイ・ルブリョフ(1360頃-1430)の「二人の聖パウロ」。彼はロシアでは最も広く知られた画家の一人で、修道士。フラ・アンジェリコのような存在で、生存中から今日まで敬愛され続けている幸せなイコン画家です。

イコンとは「像」を意味するギリシャ語のeikonに由来しており、聖像、特に、ギリシャ正教やロシア正教で発達した、キリストや聖母、聖人や聖書中の出来事等を表した、礼拝のための画像や彫像のことです。

中世まではギリシャやロシアを含む東ヨーロッパでは、絵画と言えばイコンの事を指し、あのスペインで活躍したギリシャ人、エル・グレコもギリシャにいる間はイコン画家として生計をたてており、26歳でヴェネツィアに渡った後、西洋絵画を習得しています。

ロシアでは現在も、イコンは受け継がれて来ているようです。イコン画家は自分の為にではなく神の栄光の為に描くと考えられており、個性を出す事は考えられず、画家名は残っていないのが普通でした。

カール・ブリューロフ(1799-1852)の代表作「ポンペイ最後の日」。同時代の人たちに「偉大なるカール」と呼ばれた彼は、国際的に活躍したロシア初の画家と見做されています。

カールは帝国芸術アカデミーで12年間受講後、22歳でローマに赴き、1835年まで滞在します。壮大な「ポンペイ最期の日」は、1833年に完成し、翌年パリのサロンで金賞を獲得するのです。

モスクワに凱旋帰国し、帝国芸術アカデミー教授に就任。貴族や上流階級の人々と交流しながら優雅に暮らしますが、体調悪化によりイタリアで3年過ごした後死去。

イワン・アイヴァゾフスキー(1817-1900)の「第九の波」。ウクライナ生まれのアルメニア人海洋画家。長寿で6000点もの作品を残し、国際的にも人気が高い。そのためかロシアの全ての画家の中でも最も贋作が多いと言われています。

イリヤ・レーピン(1844-1930)の「ヴォルガの船曳」。レーピンは、大胆なリアリズムで社会の矛盾を描き、民衆の啓蒙のために各地で展覧会を開いた移動派の中心的人物。

これは、ヴォルガ川沿いに大きな船を移動させなければならない人々の過酷な労働を描いたものです。レーピンはこの絵を、サンクト・ペテルブルク帝国芸術アカデミーの学生だった時に描いています。

ミハイル・ヴルーベリ(1856-1910)の「6翼の熾天使(アズラエル)」。サンクト・ペテルブルク大学法科を卒業後、帝国芸術アカデミーで絵画を学び、たちまち才能を現し、キエフの聖キリル教会の壁画の再建を依頼されます。ここで描いたイコン「聖母子像」などで、彼の名声は確立します。

1889年にモスクワへ移り、大作「座るデーモン(悪魔)」で評判を取った後、アール・ヌーヴォー的な美術集団に加わり、絵画だけでなく陶芸、ステンドグラス、舞台セットや衣裳の制作などでも優れた作品を残しています。

しかし、1902年初めから精神病の兆候が現れ、さらに1906年には失明するなど、不幸が重なり、1910年帰らぬ人となります。なおアズラエルとはイスラム教における死を司る天使。

ボリス・クストーディエフ(1878-1927)の「商人の妻」。ボリスはペテルブルク帝国芸術アカデミーでイリヤ・レーピンの下に学んだ後、アカデミーから奨学金を得て、フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、オーストリアなどを歴遊。

そのためか、ロシアの画家に珍しく、明るく華やかな色調を多用した風俗画や風景画で名高く、1918年に描いたこの絵は彼の代表作となっています。

ナタン・アルトマン(1889-1970)の「アンナ・アフマートヴァの肖像」。ナタンは現在のウクライナでユダヤ人として生まれ、オデッサ芸術大学で学んだ後1910年パリに出て、シャガールたちと交わり、キュビスムの影響を受けます。

1914年、サンクト・ペテルブルクでキュビスムの手法で描いたロシアを代表する詩人、アンナ・アフマートヴァの肖像は彼の代表作となりますが、1918年以降は専ら舞台芸術や本の挿絵、美術エッセイを手掛けています。



(添付9:ナタン・アルトマン作「アンナ・アフマートヴァの肖像」は著作権上の理由により割愛しました。
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