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美術館訪問記 – 499 チェスター・ビーティ図書館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:チェスター・ビーティ図書館正面 写真:Creative Commons

添付2:チェスター・ビーティ図書館内部

添付3:根付「達磨」

添付4:中国の鼻煙壺

添付5:ヨーロッパ中世の金泥写本「東方三博士の礼拝」

添付6:3世紀のギリシャ・パピルス

添付7:コーランの写本の一つ

添付8:伴大納言絵巻の一場面

ライブラリー、つまり図書館と言えば、ダブリンにはもう一つ魅力的な図書館があります。その名は「チェスター・ビーティ図書館」。

私は前回採り上げたトリニティ・カレッジのオールド・ライブラリーのような特別なケースを除いて普段は図書館には興味がないのですが、この図書館は数少ない例外の一つでした。

通常、美術館巡りのプラン作成中、トリップアドバイザーの「美術館・博物館」を検索して、見落としが無いかどうかチェックするようしていますが、チェスター・ビーティ図書館は、私が調べた時は、ダブリンどころかアイルランドの美術館・博物館中1位にランク付けされていたのです。

トリップアドバイザーをご存じない方は少ないでしょうが、世界中のホテルやレストラン、観光名所などを網羅しており、実際に体験したユーザーの評価に基づいてランク付けされているので信頼できます。

但し、絵画鑑賞に興味のある投稿者は少ないようで、素晴らしい美術館が蝋人形館よりも低くランク付けされているような事も多いのですが。

他では見当たらないような希少な情報が載っているので時々参考にするLonely Planetというガイド・ブックにも「ダブリン一の博物館であるばかりかヨーロッパでも最良の博物館の一つ」と紹介されています。

何にしろ、総合1位の場所を外す訳にはいきません。それにこの図書館はトリニティ・カレッジから西に500m足らずの場所にあるのです。

チェスター・ビーティは1875年、ニューヨークの生まれで徒手空拳の身から、若くしてアメリカ鉱山業界の有力者に伸し上りますが、1911年、愛妻が二人の幼子を残して亡くなると、ロンドンへ移住。

再婚した彼は鉱山会社を興し、第一次大戦後の高まる需要を掴み、大成功して「銅の王様」と呼ばれるようになります。

ビーティは子供の頃から切手の蒐集が趣味で、長じては、根付、印籠、中国の鼻煙壺、ヨーロッパ中世の金泥写本、エジプトのパピルス、などのコレクターとしても、知られるようになります。

1917年には、ビーティは家族と共に来日。欧米で手広く美術品を売り捌いていた山中商会の顧客として歓迎を受け、京都・奈良・大阪等に滞在。

美しい色彩、細かな肉筆を好んだビーティは、日本では、室町・江戸時代の絵巻や絵入り本を蒐集。ビーティは独自の嗜好で、ユニークなコレクションを確立するのです。

1950年には仕事から身を引き、ダブリンに住んで司書を雇って膨大なコレクションを整理し、1954年にチェスター・ビーティ図書館を開館。

図書館(ライブラリー)と名付けられていますが、当初は蔵書の意味でこう呼んだもので、実態は美術館、博物館、図書館が融合したような独自のものです。

ビーティはアイルランドに帰化後1968年死去。一般市民として初めてアイルランド国葬となりました。彼のコレクションは国に遺贈され、2000年、ビーティの生誕125年を記念して現在のダブリン城脇に新館が開館したのです。

3階建ての内部には西洋美術、イスラム美術、東アジア美術に大別された展示がされていますが、これらは総所蔵物の1%程度に過ぎないのだとか。定期的に展示品の入れ替えがなされているようですが、全部を見ることは一生かかっても無理でしょう。

西洋美術部門のパピルスコレクションは世界でももっとも広範なコレクションの一つであり、古代エジプトの恋歌のほぼ完全な集成を含んでいるといいます。

イスラム美術部門では、中世イスラム世界を代表する能書家の一人、イブヌル・バウワーブが制作したものを始めとする多数の貴重な写本を所蔵し、世界で最も充実したコレクションと言われます。

アジアの美術品も多く、日本の江戸時代の鎧や刀、絵巻物も多数展示されています。

ここでも写本や日本の絵巻物、摺物の品質の高さに驚嘆しました。まるで今朝描いたか刷り上がったばかりという保存の良さ。

伴大納言絵巻が広げられて展示されていましたが、今までこれ程高品質なものを観た記憶がありません。2002年にヨーロッパの「今年の博物館」に選ばれたのもむげなるかな。

ここは残念ながら撮影禁止。写真はビーティ図書館のHPから借用しました。