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美術館訪問記 – 497 アイルランド現代美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:アイルランド現代美術館正面

添付2:アイルランド現代美術館中庭

添付3:アイルランド現代美術館2階から西門を見る

ヒュー・レイン・ダブリン市立美術館の南西3㎞程の場所に「アイルランド現代美術館」があります。

1990年にアイルランド政府により創設され、1991年に開館。建物はナポレオンの墓所があることで有名なパリのアンヴァリッドをモデルに、1684年に建てられた退役軍人のための施設を修復したものです。

広い中庭を囲む正方形のエレガントな古典建築で、17世紀建築としては最も美しい建物の一つと言われます。

最初に訪れた時は西側の門から入ったのですが、美術館まで両側に並木が立ち並ぶ直線道路が500m程続いています。

門から美術館まで距離のある所は、距離がありすぎて歩行者に自転車を貸し出しているオランダのクレラー・ミュラー美術館を筆頭に、世界でも幾つかありますが、美術館まで一直線に繋がるアプローチは珍しい。

この道の左側は美しい庭園になっていますが、もともとは薬草が栽培されていた土地で、現在はフランス式フォーマル庭園として訪れる人を迎えています。

建物は豪華なのですが、展示中の作品は私が全く関心の持てない無名の現代作家たちのもので撮影禁止。唯一目に留まったのは前回名前の出したジャック・バトラー・イェイツの作品群。

ジャック・バトラー・イェイツは興味深い人物です。

彼は1871年、肖像画家だったジョン・バトラー・イェイツの次男として誕生。兄は1923年ノーベル文学賞を受賞した詩人のウイリアム・バトラー・イェイツ。

ジャックはイラストレーターとして職に就き、油彩画を始めたのは1906年から。1920年頃から彼は表現主義に傾倒。オーストリア人画家オスカー・ココシュカとは傾向を同じくする親しい友人でした。

彼は20世紀アイルランドで最重要な画家という評価を受けるようになりますが、一人の弟子も採らず、描いているところを誰にも見せないのでした。

彼は演劇や文学にも多大な関心を寄せ、3作の戯曲を書き、舞台装置も手掛け、多くの小説やエッセイを世に出しました。

驚いたことに、彼はアイルランド最初のオリンピック・メダリストでもあるのです。

あまり知られていない事ですが、1912年から1948年まで芸術部門がオリンピック種目に含まれていました。テーマはスポーツ関連に限られていましたが。

1924年のパリ・オリンピックでは絵画、彫刻、建築、文学、音楽の5部門で争われジャックは絵画部門で銀メダルを獲得するのです。

1922年に独立したアイルランドにとって初のメダルとなりました。

添付の「リッフェイ水泳大会」がその絵画です。リッフェイ水泳大会は1920年からダブリン市内で開催されているものでヴィクトリア湾からバット橋まで1.5マイルを競うものでした。

添付の絵画作品写真はそれぞれの美術館のHPから借用しました。



(添付4:ジャック・バトラー・イェイツ作「リッフェイ水泳大会」、添付5:ジャック・バトラー・イェイツ作「夏の夕べ」、添付6:ジャック・バトラー・イェイツ作「オール・スターズ」 及び 添付7:ジャック・バトラー・イェイツ作「抑圧された心」は著作権上の理由により割愛しました。
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