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美術館訪問記 – 496 ヒュー・レイン・ダブリン市立美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ヒュー・レイン・ダブリン市立美術館正面

添付2:ヒュー・レイン・ダブリン市立美術館内部

添付3:サージェント作
「ヒュー・レインの肖像」1906年

添付4:ルノワール作
「雨傘」

添付5:クールベ作
「雪中の奮闘」

添付8:フランシス・ベーコンのスタディオ

添付9:フランシス・ベーコンの言葉の一つ

半年近く続けたイギリスの邸宅美術館シリーズをこの辺で切り上げてまだ一ヶ所、国立美術館しか採り上げていなかったイギリスの隣国、アイルランドに話を移しましょう。

国立美術館のあるダブリン市内には、もう一つ見逃せない美術館があります。それが国立美術館から北北東へ1500m程の場所にある「ヒュー・レイン・ダブリン市立美術館」。

この美術館に名前が冠されているヒュー・レインは、現代美術のための美術館を世界で最初に設立したことで知られるアイルランドきっての美術コレクターです。

彼はアイルランドで1875年に生まれ、1915年没という40年ほどの短い人生にも関わらず、主に印象派を扱う画商として精力的に活動し、1908年にダブリン市現代美術館を設立するのです。

翌年にはその功績を称えてナイトの爵位を授与されます。

ヒュー・レイン自身のコレクションは印象派作品を中心にコローやクールベの作品群、それにアイルランドの画家親子、ジョン・バトラー・イェイツとジャック・バトラー・イェイツの作品などを含みます。サージェントの描いた「ヒュー・レインの肖像」もありました。

これらの内、前者の39作品はロンドン・ナショナル・ギャラリーへ寄贈されていたのですが、後にダブリン市へ遺贈するという補足遺言書が出現。但しこの補足遺言書は証人がいなかったため両者間で長い調停が行われました。

最終的に1959年、6年毎に半分ずつを両者間で交換する事で決着。

特に注目すべきはヒュー・レインが最も好んだというルノワールの「雨傘」。

1880年代、ルノワールは印象主義的表現技法に限界を感じ始めていました。光を描こうとすればするほど、物の形は不明確になり、人物は周囲の風景の一部に埋没するのです。自分が描きたいものは光ではなく、人物の内面にある豊かさであるとの考えが彼の中で強くなって来ていました。

彼は人物を描こうとして「雨傘」に取り掛かりますが、気がつけば筆は、躍動する光を追いかけているのです。

ルノワールは筆を置き、1881年イタリアを旅してルネサンスの巨匠たちの作品に接し、正確なデッサンと確かな存在感に満ちた作品の力を痛感。特にラファエロの線と形態に活路を見出し、古典的手法に転換するのです。

X線の調査により、この絵は1881年に右側部分が従来の印象派的手法で描かれ、1885年から86年にかけて左側部分が古典的手法で描かれたことが判明しています。左側前面の女性を色調を抑えた線画で描き、その後で背景と傘を描き加えたのです。

本作は印象主義的技法と独自的表現が混在する過渡期の作品として貴重なのです。

クールベの「雪中の奮闘」は、降り積もった雪原の中を苦労して進もうとする幌馬車を描いており、彼の主題として初めて見ました。

ヴラマンクの「阿片」も阿片を吸う女性をキュビスムの手法で描いており、彼としては非常に珍しいものです。

実は、現在この美術館で注目されているのはヒュー・レインのコレクションよりも、20世紀を代表するダブリン出身の画家フランシス・ベーコンの常設展なのです。

フランシス・ベーコンは1909年ダブリンの競走馬の訓練士の家に生まれ、美術の専門教育は受けずに育ちますが、ベルリン、パリを2年間ほど放浪した後、1929年からロンドンで室内装飾の仕事を始め、油彩画にも取り組み始めます。

1934年、初の個展を行いますが、評価は低く、幻滅した彼は10年近く筆を折り、それまでの自作の大部分を破棄してしまいます。

後に彼は、自身が一貫して関心を持てる主題を探すのに時間がかかったことが、芸術家としてのキャリア形成が遅れた原因であると話しています。

1944年、第二次世界大戦の終結が見え始めると、彼も自信を取り戻し、「キリスト磔刑図のための3つの人物画の習作」を描き上げます。

この作品は一躍彼の評価を高め、批評家のジョン・ラッセルが、「3つの習作」以前のイギリス絵画と以後の作品は混同することはできない、と言うほど、多大な影響をイギリスのみならず世界に及ぼすようになるのです。

ベーコンは1992年心臓病で死亡。ゲイだった彼は最後に付き合っていた二人のパートナーに全財産を残しますが、二人はベーコンのアトリエと残留物全てを1998年この美術館へ寄贈します。

ロンドンのサウスケンジントンからそっくりそのまま移設された彼のスタディオは、ゴミ溜めかと思えるような乱雑振りですが、「私は混沌の中にいるのが一番落ち着く。なぜなら混沌が私にイメージをもたらすからだ」というベーコンの言葉が他の彼の印象的なセリフ共々、隣接する壁に大きく書かれていました。

その他にも、大画面スクリーンに常時流れているインタビュー映像、購入したり寄贈されたりした8点ものベーコンの油彩画など、ベーコン・ファンでなくともその世界に引き込まれてしまうような力の入った展示は見応えがありました。



(添付6:ヴラマンク作「阿片」、添付7:フランシス・ベーコン作「キリスト磔刑図のための3つの人物画の習作」 および 添付10:フランシス・ベーコン作「無題(まだら模様の絨毯の上に座る男)」は著作権上の理由により割愛しました。
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