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美術館訪問記 – 494 ワッツ・ギャラリー

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ワッツ・ギャラリー外観

添付2:ワッツ作
「希望」 テート・ブリテン蔵

添付3:ワッツ・ギャラリー内部

添付4:ワッツ作
「17歳の自画像」

添付5:ワッツ作
「ヴァイオレット・リンゼイの肖像」

添付6:ワッツ作
「クリュティエ」

添付7:ワッツ・ギャラリー内ド・モーガン・コレクション展示室

添付8:イーヴリン・ド・モーガン作
「ナクソス島のアリアドネ」

添付9:イーヴリン・ド・モーガン作
「ウイリアム・ド・モーガンの肖像」

添付10:ウイリアム・ド・モーガン作
陶器類

ド・モーガン夫妻の作品がまとめて観られるもう一つの場所は、ロンドンの南西50㎞足らずのコンプトンの町にある「ワッツ・ギャラリー」。

この美術館は画家で彫刻家のジョージ・フレデリック・ワッツの個人美術館として1904年に開館されましたが、これは1903年に開館した世界最初の個人美術館、パリのギュスターヴ・モロー美術館に次ぐ2番目の個人美術館で、勿論イギリスでは最初の一人の芸術家だけのための美術館です。

ワッツは1817年、ロンドンの貧しいピアノ職人の家に生まれます。幼少の頃より天賦の美術の才を発揮しますが、病弱のため学校にはいかず、10歳で彫刻家の下で修業し始め、18歳時に王立美術院で短期間学んだ後、絵画コンクールで一等賞を取り、天才画家と評判されるようになります。

この時の賞金でイタリアに4年間も遊学し、イタリア・ルネサンス美術に魅かれて帰国後、プリンセプ夫妻という強力な後援者を得て、夫妻宅に21年間も同居して製作に没頭する事ができたのでした。

46歳で30歳年下の女優と結婚しますが1年で別の男と駆け落ちされてしまいます。69歳で33歳年下の陶芸家でデザイナーだったメアリーと再婚。コンプトンに移り住み、家のすぐ近くの建物をワッツ・ギャラリーに改築し、開館の3ヵ月後に死亡。享年87。

彼は準男爵授爵を2度打診されて2度とも断っていますが、イギリス最高の勲章であるメリット勲章は1902年受勲しています。

ワッツは肖像画家としても有名でしたが、ラファエル前派とも親交があり、甘美な抒情性と象徴性のある作品によって、19世紀後半のイギリスを代表する画家の一人と見做されています。

ワッツは「ものでなく理念を描きたい」と言っていますが、その言葉を具現化した傑作が再婚の年に描かれた「希望」でしょう。

目隠しをされた女神が地球のような物体の上に佇み、たった一本の弦を爪弾きながらその音に耳を澄ましています。彼女の集中度を強調するためか白い柔らかな布で目隠しされた顔に明るい光が当たり、背景は緑がかった青色の何もない空間です。

この絵は直観的に観る人に希望の寓意を訴えかけて来る魅力的な作品として絶大な人気を博し、ワッツはほぼ同じ絵を3点描きました。その内本人が最も気に入った2番目の作品を他の作品と共に国家に寄贈しました。

添付図はその寄贈作品ですが、最初に描かれた作品がこの美術館に展示されていました。

館内はゆったりとしたスペースで地階もあり、ワッツの生涯の画業を一望できます。彫刻家でもあった彼の彫刻作品展示室もあり、大作やブロンズ像も散見されました。

添付のヴァイオレット・リンゼイは第24代クロフォード伯爵の孫でこの時23歳。この絵の描かれた3年後に結婚してラトランド公爵夫人となります。

「クリュティエ」はワッツが好んだ神話で彼の彫刻中、最も有名なものです。

クリュティエとはギリシャ神話中の水の妖精で、太陽の神アポロに愛されますが、やがて捨てられてしまいます。

彼女は9日間、冷たい地面に座ったままで、何も食べず、何も飲まず、只ひたすら、太陽を見つめ続けます。ついに彼女はその場で根を生やし、ひまわりとなり、日が昇ると太陽神アポロを日がな一日追いかけるようになるのです。

ところでワッツ・ギャラリーとド・モーガン財団との協定で2014年からギャラリーの一室をド・モーガン夫妻の作品が占有しており、2015年からはド・モーガン財団事務所もこの美術館内の建物に入居しています。

ギャラリー入口直ぐ右手にド・モーガン・コレクションの収まる一室がありました。イーヴリンの油彩画9作品とウイリアム作の陶器やタイルが展示されています。

イーヴリンの最高傑作の一つ、「ナクソス島のアリアドネ」がありました。

ギリシャ神話によると、クレタの王女アリアドネは、ミノタウロスの犠牲としてクレタに連れて来られたアテナイの王子テセウスに恋をします。

アリアドネはテセウスの怪物退治を助け、ともにクレタ島を脱出しますが、テセウスはアリアドネを見捨て、ナクソス島に置き去りにしてしまうのです。

アリアドネがひとり海岸で嘆き悲しんでいると、通りがかった酒神バッカスに、その美しさを見初められ、妻に迎え入れられたということです。

ウイリアム・ド・モーガンの54歳時の肖像画もありました。