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美術館訪問記 – 493 ウルヴァーハンプトン美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ウルヴァーハンプトン美術館正面

添付2:ウルヴァーハンプトン美術館内ヴィクトリアン・ルーム

添付3:アリ・シェフェール作
「理想:ダンテとベアトリーチェ」

添付4:サラ・ペイジ作
「春の囁き」

添付5:サラ・ペイジ作
「アンドロメダ」

添付6:ジョセフ・ライト作
「エラズマス・ダーウィン」

添付7:カウフマン作
「オデュッセウスの弓を見て泣くペーネロペー」

添付8:フュースリー作
「ペネロペ・ブースビーの神格化」

前回のワイトウィック・マナーのあるウルヴァーハンプトンの町の中心近くに「ウルヴァーハンプトン美術館」があります。

1884年開館と地方都市としては比較的早い創館の美術館は風格ある2階建て。2007年に改築された内部はスッキリとして寒色系の色彩でまとめられています。

ヴィクトリアン・ルームと名付けられた部屋の壁の中央に、19世紀のヴィクトリア朝時代のイギリス人画家達に交じってフランスの画家、アリ・シェフェールの「理想:ダンテとベアトリーチェ」がありました。

彼は1795年、オランダ、ドルトレヒト生まれで、貧しい画家だった父親を14歳で亡くし、1811年パリに出て国立美術学校で学びます。

当時フランスではロマン主義の嵐が吹き荒れていましたが、シェフェールはそれらとは距離を置き、「冷ややかな古典主義」と呼ばれた独自のスタイルを発展させました。

1822年にオルレアン公爵ルイ・フィリップの子供たちの絵画教師になった事が大きく彼の運命を変えました。公爵の紹介で上流階級の人々の肖像画注文が増え、1830年にルイ・フィリップが王位に就くと、注文は捌き切れない程になります。

しかし1848年の2月革命で王政が覆されると、王族と強く結びついていたシェフェールの人気は失墜し、通俗画家の烙印を押されてしまうのです。

失意のシェフェールはアトリエに籠りきりになり、ひたすら絵を描き続けましたがそれらが発表されたのは彼が亡くなった1858年以降の事でした。

印象主義などの台頭でシェフェール同様、通俗画家と見做されるようになったジェロームやブグローが20世紀後半になって見直されてきたように、シェフェールも復権して来ています。

シェフェールは多産の画家で、世界各地の美術館で彼の作品を見かけますが、この美術館で初認識した画家がいました。それがサラ・ペイジ。

彼女は1855年、ウルヴァーハンプトン郊外の裕福な家の生まれで、1870年代に両親を亡くしましたが残された十分な遺産で生涯暮らしていけました。

ウルヴァーハンプトン美術学校卒業後イタリアで学び、パリのサロンやロンドンのロイヤル・アカデミーに出展しながら1897年からフランスで過ごし、生涯独身で1934年帰国して妹と共に暮らし、1943年没。

同じ年生まれのイーヴリン・ド・モーガンに比べれば、画家として認められた生涯ではありませんでしたが、19世紀末から20世紀半ばという女性にとって困難な時代を、独立した女性として生き抜いたのでした。

ここには彼女が寄贈した、サロンで認められた作品2点が展示されていました。

「アンドロメダ」はギリシャ神話中の人物で、母カッシオペイアがその美貌が神に勝ると豪語したことから、怒った神々によって怪物の生け贄とさせられようとして、波の打ち寄せる岩に鎖で縛りつけられてしまうのです。

そこを、メドゥーサを退治してその首級を携えてきたペルセウスが通りかかり、怪物にメデューサの首を見せて石にし、アンドロメダを救出するのです。アンドロメダは後にペルセウスの妻となります。

この物語は多くの画家の題材となっています。

美術館には第483回で紹介したジョセフ・ライトが2点描いたもう1点の「エラズマス・ダーウィン」がありました。

他にもこれまで紹介して来たアンゲリカ・カウフマンやフュースリー、フランク・ブラングィンなど多くの作品が展示されていました。

カウフマンの「オデュッセウスの弓を見て泣くペーネロペー」はトロイ戦争に出陣して長い間帰国できなかったギリシャ神話の英雄オデュッセウスを想い、彼の妻ペーネロペーは夫の留守の間、なんとか貞操を守ってきました。

それももう限界だと思い、「オデュッセウスの強弓を使って12の斧の穴を一気に射抜けた者に嫁ぐ」と言い寄って来ていた求婚者たちに知らせた後、夫の弓を手に憂いに沈むペーネロペーを描いています。

余りに強い弓のため誰も引けない弓を手に取った老人に変装した、帰国したばかりのオデュッセウスは矢を射て12の斧の穴を一気に貫通させ、正体を現し、その弓矢で求婚者たちを皆殺しにするのです。

フュースリーの作品は地主で詩人、翻訳家でジャン=ジャック・ルソーのパトロンでもあったブースビーの一人娘ペネロペ・ブースビーが僅か5歳で亡くなり、天使に導かれながら昇天して行く様子を描いています。



(添付9:フランク・ブラングィン作「静物」は著作権上の理由により割愛しました。
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