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美術館訪問記 – 487 カースル・ハワード

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:庭から見たカースル・ハワード

添付2:カースル・ハワード内階段

添付3:ギャラリー

添付4:ベッロット作
「キリスト昇天祭の日のサン・マルコ湾」

添付5:レイトン作
「ロザリンド・ハワードの肖像」

添付6:モリス商会作
ステンドグラス「受胎告知」

添付7:ゲインズバラ作
「少女と豚」

添付8:古代彫刻が並ぶ廊下

添付9:窓越しに見える庭

リーズの北東40㎞程の都市、ヨークからさらに40㎞程北に位置する大邸宅が「カースル・ハワード」。

カースルはキャッスルとも表記され、城の意味ですが、実際には城として使われたことはありません。英国では1500年頃以降城郭の建設はなくなり、それ以降に建設されたカントリー・ハウスに対してカースルという名称が頻繁に使われましたが、これらの建物の設計には軍事利用の観点は考慮されていません。城とすると誤解を与えかねないので現地英語読みのままカースルとしておきます。

ここは1000エーカー、約120万坪の広大な敷地の中に立つ宮殿のような豪邸。何せ外門から内門まで1.6km、内門から屋敷まで1kmあります。

車は内門まででそれ以降は歩き。内門に受付があり、入場料を支払います。よく手入れされた庭園の中を、ピクニック気分で来ているのでしょう、大勢の家族連れと共に進みます。歩けない人のためにはバスもあります。

しかし邸内に入る人はほとんどいません。確かに子供たちに絵を見せても退屈でしょうし、広々とした庭園でのんびり寛ぐのは気分転換には最高でしょう。

第3代カーライル伯爵チャールズ・ハワードが1699年に建設を開始し、100年かけて造られた豪壮な邸宅には、伯爵家ではありませんが、ハワード家の血筋を引く一家が今も居住しています。

入口を入ると直ぐ大階段があり、2階から見学するように設定されています。自然光が十分採り入れられるよう天井は全て天窓になっており、旧家としては珍しくモダンな造り。

2階建ての館内に絵画は数多く展示されていますが、著名画家の手になる作品はほとんど見当たりません。

それも道理、代々の伯爵家が収集して来た名画の内ベッリーニやマビューズ、ルーベンス、アンニーバレ・カッラッチなどの最重要作品は19世紀末に第9代伯爵夫妻が国家に寄贈。

1940年には火災に見舞われ、ティントレットやカナレットなどの名画を消失。ドームが焼け落ちるなど家屋も甚大な被害に遭い、修復資金捻出のため、残っていた名画の内かなりの数を売却せざるを得なかったのでした。先程の天窓もこの改築の際、新たに付け加えられたものでした。

特にカナレット作品は第4代伯爵が熱心に集め、直接画家本人からも購入して一時は50点近くあったと言いますが、現在残っているのはその内4点のみ。しかも私の観るところカナレットの甥のベッロット作品のようです。

イギリスの邸宅の常で肖像画が多く並びますが、中ではフレデリック・レイトンの若い女性の半身像が光っていました。

この女性は第9代伯爵の妻、ロザリンド・ハワード。ただロザリンドが夫のジョージ・ハワードと結婚した時、ジョージは画家でした。ジョージの父親は第6代伯爵の5番目の息子で、裕福でしたが平民。

ジョージは父から受け継いだ富で画家仲間のパトロンとして、特にラファエル前派の画家たちのサポートをしていました。ラファエル前派と親しかったレイトンやワッツの絵も購入しています。

カースル・ハワード内にある礼拝堂の改築話が持ち上がった時には、伯父の伯爵に頼んで親友だったウイリアム・モリスにその改装を任せています。

バーン=ジョーンズの下絵に基づきモリス商会が作成したステンドグラスや、天井も含め礼拝堂全体の装飾が素晴らしい。

ところが伯父たちが相次いで子供のいないまま亡くなり、46歳の時に第9代伯爵の地位と財産が転がり込んで来るのです。

元々画家だったジョージは受け継いだ名画は広く世の人々と共有すべきだという信念の下、ロザリンドとも話し合って主要作品を国家に寄贈したのです。

豪奢な貴族の館には若干不釣り合いなゲインズバラ作の「少女と豚」はジョージが愛着を感じて手元に残したのでしょうか。

第3代伯爵と第4代伯爵が好んで収集したという古代彫刻が並ぶ廊下を通りながら眺める広大な庭をゆっくり散策するのもよいでしょう。