戻る

美術館訪問記 –484 ヘアウッド・ハウス

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ヘアウッド・ハウス外観

添付2:図書室

添付3:ギャラリー

添付4:ジョヴァンニ・ベッリーニ作
「聖母子と寄進者」

添付5:ソドマ作
「聖ヒエロニムス」

添付6:ティントレット作
「ベネデット・ソランツォ提督」

添付7:グレコ作
「寓意」

添付8:レイノルズ作
「ラッセル男爵の肖像画」

添付9:ターナー作
「南側から見たヘアウッド・ハウス」

添付10:ヘアウッド・ハウスのバルコニーからの眺め

ロバート・アダムに話を戻して、彼のもう一つの代表作を採り上げましょう。

それが「ヘアウッド・ハウス」。ロンドンとエディンバラの中間辺りのリーズにある1000エーカー、約120万坪の庭園の中に佇む豪邸です。庭はここもケイパビリティ・ブラウンの設計。

この館の建設はラッセル男爵が1759年、パッラーディオ様式の建築家ジョン・カーに依頼して始まり、内装を依頼されたロバート・アダムが建物の一部にも手を加えて、1772年完成。内装のほとんどは、ロバート・アダムの設計によるもので、彼の傑作の一つとされています。家具は英国一著名な家具職人トーマス・チッペンデールの作品。

子供のいなかったラッセル男爵の跡を甥のエドワード・ラッセルが継ぎ、彼は初代ヘアウッド伯爵に叙されています。

第6代ヘアウッド伯爵は国王ジョージ5世の長女メアリー王女と結婚。メアリーは1965年の死まで35年間ここで生活。当時の調度品も展示されています。今に残るルネサンス絵画を収集したのも6代目。

日本とは異なり、メアリー王女は民間人と結婚後もプリンセス・ロイヤルの称号でエリザベス女王の代理で外国の王族を訪問する等王室の一員としても活動しました。

メアリー王女は、英国史上初めて王族の暮らす私邸を一般公開したり、リーズ大学の総長に就任したりするなど、革新的で活動的な女性だったようです。

現在の当主、第8代ヘアウッド伯爵はエリザベス2世女王の従兄弟にあたり、1950年の誕生時には第13番目のイギリス王位継承者でした。

ここの敷地とハウスは第7代伯爵が設立したヘアウッド・ハウス・トラストの所有となっていますが、地上2階、地下1階のハウスの2階には第8代ヘアウッド伯爵の家族が住んでおり、それ以外の部分が一般公開されています。

ここも広大な庭園で、私が訪れたのは平日の昼過ぎでしたが、駐車場は車で埋まっており、広い芝生の上でボール遊びや駆け回ったりしている子もいます。2009年度の英国国家最大訪問客誘致賞受賞もさもありなんという盛況ぶり。

例によってハウスに入る人は稀。ここは室内撮影禁止。従って内部と庭の添付写真はヘアウッド・ハウスのホーム・ページから借用しました。

1階には華麗に装飾された16部屋、地階にはキッチンや使用人たちの部屋、カフェ等9部屋が開放されていました。

この館も第6代伯爵の突然死で多額の相続税支払いを求められ、幾多の名画や家具、土地等の売却を余儀なくされましたが、それでもここにあるチッペンデールの家具の数は英国一を誇り、家具好きには堪えられないでしょう。

私にとっては「ギャラリー」と名付けられた最大の広間の長大な壁に3-4段に掛けられた名画の数々が堪えられない。

先ずはヴェネツィア派の巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニの「聖母子と寄進者」。このルネサンスの一方の旗頭の作品はイギリスの邸宅ではここでしか観られません。

次いでイギリスでは3か所でしか観られないシエナ派の大御所ソドマの「聖ヒエロニムス」。鮮やかな色彩に目を奪われます。

ヴェロネーゼとともにルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家、ティントレットの「ベネデット・ソランツォ提督」。ベネデット・ソランツォ提督は有名な1571年のレパントの戦いの指揮官でした。

背景はアレクサンドリアの港で、中景左側の尼僧の周りには「信念があれば何事も成し遂げられる」と書かれています。

中でも一際目立つのが中央の暖炉の上にある比較的小品のグレコ作「寓意」。

火を点けている若い人物の両側に猿と人がいる構図。この絵が何の寓意なのかについての定見はありませんが、欲望への戒めという意見が多い。

スペインの諺に「男は火、女は麻屑、悪魔が来りて火を点ける」というのがあるそうで、その絵画化として中央の人物は女性とされます。

ジョシュア・レイノルズが描いたこの邸宅の創設者、ラッセル男爵の肖像画もありました。彼の伸ばした右手の背後に沈みゆく夕日に照らされるヘアウッド・ハウスが見えます。

ターナーは初代ヘアウッド伯爵の招きでこの邸宅に何回か滞在しています。添付図はターナーが1798年に滞留中に描いた4点の水彩画の中の1点。

1階正面入り口の反対側はバルコニーになっており、ここからの眺望は誰でも暫し息を呑むでしょう。

1840年代に第3代ヘアウッド伯爵が眺めのよい南側にテラス・ガーデンを増設。

これにより、18世紀につくられたケイパビリティ・ブラウンによる自然風景庭園と、19世紀の整然としたガーデンの人工的な美が合体した見事な景観が誕生することになったのでした。