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美術館訪問記 –481 ケンウッド・ハウス

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ケンウッド・ハウス入口

添付2:ケンウッド・ハウス正面 写真:Creative Commons

添付3:庭園

添付4:ケンウッド・ハウスの一室

添付5:フェルメール作
「ギターを弾く女」

添付6:レンブラント作
「パレットと絵筆をもつ自画像」

添付7:ロムニー作
「糸紡ぎのレディー・ハミルトン」

添付8:ゲインズバラ作
「ハウ伯爵夫人メアリーの肖像」

添付9:ブーシェ作
「サクランボ摘み」

前回のアプスリー・ハウスにはこれまで訪問して来たイギリスの邸宅のような庭園はないのかと疑問に思われた方もおられるでしょう。

何せロンドンの一等地ですから流石に大庭園はありません。それでも邸宅の敷地面積よりは少し広めの庭はありますが。

ではロンドンには広大な庭園付きでかつ美術品を備えた大邸宅はないのか。

あるのです。アプスリー・ハウスから北に8㎞程の「ケンウッド・ハウス」。

ここは1754年、18世紀最高の判事と言われた初代マンスフィールド伯爵、ウイリアム・マレーが購入し、新古典主義の人気建築家で同郷のスコットランド人ロバート・アダムに邸宅の建設を依頼したもの。

アダムは1764年から79年にかけて、15年もの月日を費やして現在見られるような巨大なイオニア式石柱を備えた柱廊玄関のある壮麗な館を造り上げたのです。

1925年、この屋敷と土地を購入したのが、ギネス・ビール社会長だった初代アイヴィー伯爵エドワード・セシル・ギネス。

彼は所有していた第一級の絵画コレクションを展示できる場所としてこの邸宅を選んだのですが、2年後の1927年死去。土地、建物は絵画コレクション付きで国に遺贈されました。翌1928年から一般公開されています。

ここは庭園もハウスも入場無料。邸宅美術館でハウスの入場料なしは極めて珍しい。ただ残念ながら撮影禁止。従って内部写真はハウスのHPから借用しました。

バスも走る道路脇の入口からハウスまで林の中を少し歩くと、左右対称に造られた新古典主義建築のケンウッド・ハウスが見えてきます。

112エーカー、約14万坪の広大な土地に池もある見事な庭園に囲まれて建つ邸宅。

庭園は、18世紀末の代表的な造園家、ハンフリー・レプトンの手になるもの。彼は風景式庭園という英国ならではのスタイルの創始者で、自然の風景を模し、曲線や起伏を配した風景画のような庭園を作り出しました。

館と付属牧場との間には、ヘンリー・ムーアやバーバラ・ヘップワースといった近代英国を代表するアーティストたちの野外彫刻作品も点在しています。

ここの白眉はフェルメールの「ギターを弾く女」。

この絵1点を観るためだけにでも、ここまで来る価値があります。彼の作品はアダム・エルスハイマーより二つ少ない世界18施設でしか観られません。

ただ1670年頃の作ということで、この頃になると筆力が衰え始めているように見え、彼の他の作品でも見られる黄に白の衣装も殆ど単色でスカートの質感も乏しい。ギターの柄の部分は蒲鉾板のように平板で寂しく、カーテンや、椅子に掛けられた布も黒っぽい単色で布の質感も乏しいのでした。

しかし後ろの壁に掛けられた画中画は、それらしく描いていますし、その絵の金色の額縁もフェルメール特有の光点と陰影をつけて描いています。

フェルメールと同じ部屋の壁にレンブラントの「パレットと絵筆をもつ自画像」があります。1665年頃の作でレンブラント、59歳。破産し、家財道具や妻の墓まで売り払い、愛人も亡くし、貧困と失意の只中にあった彼ですが、この絵では自己の才能と後世の評価を確信しているかのような気概を感じます。

英国の新聞大手ガーディアン紙はこの絵を英国にある最高の絵画と評しています。

ロムニーがレディー・ハミルトンを描いた1作がここにもありました。

ゲインズバラが1764年頃に描いた肖像画もあります。彼がバースに引っ越してヴァン・ダイクやルーベンスの絵を参考に、優雅で洗練された描法を身に着けつつある時期で、まだやや硬さが残るものの十分成果が見て取れます。

イギリスの邸宅や美術館はどうしても肖像画が多くなってしまうのですが、グアルディとブーシェの4点ずつが息抜きになっていました。

ロンドン中心部から少し離れてはいますが、森林や草原に取り囲まれたこの館は都会のオアシスと言うべき貴重な存在です。