前回アダム・エルスハイマー作品が観られるのは世界でも20美術館だけと書きましたが、その内邸宅美術館はペットワース・ハウスとロンドンにある「アプスリー・ハウス」だけです。
アプスリー・ハウスは1771年から1778年にかけてアプスリー男爵がロバート・アダムに依頼して建造したものですが、18世紀ロンドンの「入口」にあたる地であったため、「ロンドン1番地」と綽名されて来ています。南側にはバッキンガム宮殿、北側にはハイドパークの広大な庭園がある一等地。
1817年に初代ウェリントン公爵が買い取り、歴代公爵家のタウンハウスとして使用されて来ていましたが、1947年、第7代公爵によって邸宅の大部分と重要な所蔵品が国に寄贈されました。
イギリス貴族のタウンハウスが建築当時のまま現存している例としては唯一の建物であると考えられています。
1952年から一般公開されていますが、現在も3階の北側部分は第9代ウェリントン公爵家の居住区として非公開になっています。
初代ウェリントン公爵はアーサー・ウェルズリーとしてアイルランドの伯爵家に1769年、ダブリンで生まれました。
彼は1815年、ワーテルローの戦いで英・オランダ連合軍を率い、プロイセン軍と協力して、流刑先のエルバ島から脱出し、再び皇帝宣言をしたナポレオンの率いるフランス軍を破った事で有名です。
この戦功により初代ウェリントン公爵に叙され、その後は首相も2度務めた英雄としてよく知られています。
現在はウェリントン博物館となっている3階建ての邸宅に、受付で撮影禁止と念を押されて入館。従って添付の内部写真はWebから拝借しました。
入口直ぐに2階への螺旋階段があり、その前に巨大な大理石彫像があります。軍神マルスになぞらえたナポレオン像で、第一執政時にナポレオン自身が注文したもの。イタリアの彫刻家アントニオ・カノーヴァ作。
後に皇帝に即位したナポレオンは、自分の体型とあまりにかけ離れた神々しい像を恥ずかしく思い、ルーヴル美術館の倉庫にしまいこんだといいます。
それをワーテルローの戦いの翌年に英国政府が購入し、ウェリントン公爵にプレゼントしたものです。
欧州各国の王室はナポレオン撃破を感謝して、ウェリントン公爵に絵画や美術品、豪華な調度品などを贈りました。
アプスリー・ハウスでは戦利品などの公爵にまつわる展示と共に、これらの素晴らしいコレクションの数々を観ることができます。
その中にアダム・エルスハイマー作「ホロフェルネスの首を切るユディト」が含まれていました。
ユディトは何回か名前を出しましたが説明していませんでした。彼女は旧約聖書外典に出て来るユダヤの英雄的女性で伝説上の人物。
この美しい寡婦はネブカドネザル王の総大将ホロフェルネスの率いるアッシリア軍に包囲された町ベトゥリアを救うため,きらびやかに身を飾り,召使い女一人を伴って敵陣を訪れます。ホロフェルネスが彼女を誘惑しようとして開いた祝宴の後,酔いつぶれた彼の首を剣で切り落とすのです。
大将を失ったアッシリア軍は敗走。ユディトは105歳まで一人で暮らしたのだとか。
この絵はルーベンスが所有していたエルスハイマー作品4点のうちの1点で、ルーベンスの死後売却され、スペイン王室の所蔵品でした。
1813年のスペイン北部ビトリアの戦いで敗走したナポレオン軍が残した貨物車の中に200点を超える絵画がありました。
当時の指揮官だったウェリントン公爵は、スペイン王室のコレクションを含むそれらの絵画を返却することを決めたのですが、スペイン王フェルナンド7世は、「十分にふさわしい」 として、公爵に絵画を下賜することで応えたのでした。
館内には名画が綺羅星の如く並びますが、数点だけ採り上げてみましょう。
筆頭にあがるのはベラスケス作「セヴィーリャの水売り」。
前景の大きな壷に垂れる水のしずく、グラスに注がれた水の輝き、その左にある壺の表面のハイライト。いかにもリアルな質感が素晴らしい。
貧しい水売りをあたかも貴人のごとく威厳ある姿で活写したこの絵がベラスケス弱冠20歳の時の若描きというのですから驚きです。
ティツィアーノの「ダナエ」。ティツィアーノが同じ主題で描いた5作のうちの一つ。
ダナエは、ギリシャ神話でアルゴス王アクリシオスに青銅の部屋に閉じこめられた王女で、例によって、彼女に惚れたゼウスが黄金の雨と姿を変えて訪れ、彼女と交わりペルセウスが生まれたものの、父アクリシオスが怒り、母子を箱に入れて海に流したが、箱はセリポス島に漂着したとされています。
ジョン・シングルトン・コプリー作「オランダ王ウイリアム2世」。
コプリーは独立前のアメリカ、ボストンの生まれで、子供の頃から画才を発揮し、19歳でプロの肖像画家として活躍し始め、数多くの肖像画を残しています。36歳で独立戦争を避けイギリスに渡り、肖像画家、歴史画家として成功しました。
ゴヤが1814年頃描いた「初代ウェリントン公爵の肖像」もありました。
とてもナポレオン軍を打ち破った猛将軍には見えませんが、事実本人は十分時間をかけて緻密で綿密な戦略を打ち立て、戦士の損失を最小限に留めるよう行動する、戦争が大嫌いな軍人だったと言われます。
ジョン・エヴァレット・ミレイの少女像もありましたが、額縁にDiplomat Workと表示されています。直訳すると外交官の作品という事で、スタッフにどういう意味かと聞くとロイヤル・アカデミーとの間で作品の交換展示をしており、この作品はロイヤル・アカデミーからの借用品だということでした。こういう英語の使い方は初めて知りました。