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美術館訪問記 –478 チャッツワース

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:チャッツワース・ハウス遠望 写真:Rob Bendall

添付2:庭園の一部

添付3:入口広間

添付4:グレイト・チャンバーの天井画 写真:Creative Commons

添付5:ダイニング・ルーム

添付6:フランス・ハルス作
「男の肖像」

添付7:ゲインズバラ作
「第6代公爵夫人ジョージアナ・スペンサー」

添付8:サージェント作
「アチソン家の3姉妹」

添付9:ルノワール作
「桃」

添付10:彫刻展示室

前回のバーリー・ハウスの創設者ウイリアム・セシルには、彼とともに晩年のエリザベス1世に仕え、やはり国務長官、大蔵大臣を務めたロバートという息子がいましたが、彼は後妻との間に生まれた次男で現在のソールズベリー侯爵家の祖となっています。

前回、5代目エクセター伯爵ジョンはデボンシャー公爵の娘、アン・キャベンディッシュと結婚と書きましたが、アンの実家であるキャベンディッシュ家は代々デボンシャー公爵の称号を授かる一族で、アンはロバート・セシルの孫娘と3代目デボンシャー公爵との間に生まれた娘で、セシル家とキャベンディッシュ家のつながりは深い。

デボンシャー公爵の本拠として知られる「チャッツワース・ハウス」もまた壮麗な館として名高いのです。

チャッツワースはバーリー・ハウスから北西に100㎞程の場所にあるピーク・ディストリクト国立公園の中にあり、105エーカー、13万坪の庭園と隣接する1000エーカー、120万坪の公園に囲まれています。

これだけでも広大な土地ですが、デボンシャー公爵家の所有する土地は近辺に140㎢、つまり4200万坪あるというから驚きです。これでも第10代公爵が第11代公爵へ財産移譲する直前の1950年に死亡してしまい、莫大な相続税が課せられた結果で、以前は340㎢あったというのです。

この時の相続税支払いのため、所有していたヤン・ファン・エイクやホルバイン、ティツィアーノ、ムリーリョなどの多数の名画も売却せざるを得なかったのです。

1872年岩倉具視が欧米諸国を歴訪した時に、チャッツワース・ハウスを訪れ、これらの名画を嘆賞したという記録がありますが、今では帰らぬ夢となっています。

この苦い経験から第11代公爵は土地、建物の管理を、設立したチャッツワース・ハウス・トラストに任せ、現在の当主である第12代は賃料をトラストに払いながら生活しています。こうすることにより、少なくとも相続税支払いのため土地や建物を処分せざるを得ない状況は避けられています。

イギリスの公開されている邸宅はだいたいが庭園付きで、入場料も庭園のみとハウス込みに分かれており、庭園のみの場合はかなり安く設定されています。最初に採り上げたホウカム・ホールのように庭園入場無料という所もあります。

チャッツワース・ハウスの庭園はバーリー・ハウスと同じケイパビリティ・ブラウンの設計でイギリス庭園ベスト10の1つと言われ、それだけ人気も高いようで、私が訪れたのは9月の平日の午後でしたが、好天だったためか、凄い人出で、ハウス前の駐車場は満杯。空き場所を見つけるのに苦労しました。

車の数に比べるとハウスに入る人は随分少ない。1割にも足りないでしょう。ここは3階建て。見学できる部屋数も30ほどあります。

この家は1553年にハードウィッグのベスと呼ばれた女傑が、2番目の夫だったサー・ウイリアム・キャベンディッシュと建て始め、1557年の夫の死後も建設を続け、1560年代には完成させて、3番目、4番目の夫とこの家で暮らしたのです。

ベスの次男、ウイリアム・キャベンディッシュは初代デボンシャー伯爵に叙され、初代デボンシャー公爵を与えられた第4代伯爵ウイリアムが王家も来宅できる様家を大改造します。結局国王や女王が訪れることはなかったのですが。

その後第4代デボンシャー公爵がケイパビリティ・ブラウンに造園を託すのです。

入口を入ると荘厳な造りの吹き抜けの広間があり、中央に2階への階段があります。広間の天井や壁はジュリアス・シーザーの生涯を描いた壁画で覆い尽くされています。作者はルイ・ラゲール(1663-1721)。

ラゲールはフランス、ヴェルサイユの生まれで、パリのアカデミーで修業後、20歳でイギリスに渡り、ウインザー城の大仕事をやっていたアントニオ・ヴェリオを手助けして共に働き、やがて貴族たちの邸宅を飾る職を得て方々で活躍します。1721年ロンドンで死去。

オランダ総督と英国王チャールズ1世の娘メアリーとの間に生まれた、オランダ総督ウィレム3世が、オランダ軍を率いてイギリスに侵攻し、イギリス国王ウイリアム3世になるのを援助した功績で、第4代デボンシャー伯爵は、1694年に公爵に叙されたのですが、この大壁画はウイリアム3世をヨーロッパを支配したジュリアス・シーザーになぞらえたものと考えられます。

初代公爵は余程国王夫妻を自宅に呼びたかったのでしょう。

ラゲールのイギリスでの師筋にあたるアントニオ・ヴェリオもグレイト・チャンバーと名付けられた大広間の天井画を描いています。ここは国王夫妻の謁見場を想定して作られ、壁面は豪華な彫刻で飾られています。

ダイニング・ルーム、寝室、図書室なども豪華。

絵画は主要な作品が欠けたとはいえ、パリス・ボルドンやルカ・ジョルダーノヴェロネーゼ、フランス・ハルス、コルトーナ、ヴァン・ダイク、レンブラント、レイノルズ、ゲインズバラ、ロムニー、ミレイ、サージェントなどが多数展示されており、並みの美術館ではとても太刀打ちできません。

ルノワールの静物画やルシアン・フロイドによる当家のメンバーの肖像画なども単なる旧家の遺物の保存だけでない、継続的な発展の活力を見せています。

熱心な彫刻収集家だったという第6代公爵(1790-1858)が集めた、当時の現代彫刻を収めた彫刻展示室もありました。