考えてみるとイギリスも昨年、一昨年は年間に1件ずつ採り上げただけでした。イギリスには他の国では考えられないような大邸宅美術館が数多くあるので、それらをシリーズで書いてみましょう。
先ず最も印象に残っている「ホウカム・ホール」から。
その日はイングランドの東端の町、ウェルズ・ネクスト・ザ・シーにあるこの邸宅内の草原に置かれたベンチで12時の開館を待つ間、地平線まで続く庭園で鹿や水鳥の群れが戯れ遊ぶのを眺めていました。
連日朝から晩迄美術館巡りの強行軍の疲れをとるべく、半日休みにしていたのです。たまたま隣に座った同年輩の男性と1時間程話が弾みました。酸いも甘いも噛み分けた感じのいい男で、絵画にも詳しくジョットからゲインズバラまで話が及びました。
彼は子供の頃からこの広大な庭園を自分の庭の様にして育ち、今日も奥さんと連れ立って散歩とお茶に出かけてきたのだと言います。
彼によると、このホールの持ち主は10km幅の海岸から10km奥まで、つまり100平方キロメートル、3000万坪を全部所有しているというのです。英国でただ一人ビーチの私有を許されているのだとか。
前の当主の葬儀の際は、参列の車が10マイル続いたと言います。言葉の端々から、この邸宅に住む家族に対する敬愛の念が感じられました。
イギリスには広大な庭園の中にある邸宅が幾つもありますが、土地の広さの面ではここは桁違いでしょう。
その持ち主は、この私有地に日中は人の出入りを自由に許していると言う。自宅のみは曜日と時間を限定して私室以外を有料で開放していますが、この自宅がまさに宮殿。
1736-64年建設の本格的英国パッラーディオ様式の第一作。パッラーディオ様式らしく、入口にギリシャ風の円柱10本が並び壮観です。
12時丁度に開館。ここは撮影自由。スタッフも笑顔満点でサービス精神に溢れています。乙にすまして気取ったところの多いイギリスの他の邸宅とは大違い。上に立つ人が違うとこうも違うものでしょうか。
現在この館に住むのは第8代レスター伯爵トマス・クックとその家族。
エントリー・ホールはローマ時代の邸宅の感じで、大理石の柱が並び、天井はスタッコ造りで凝った加工が施されています。イギリスの他の邸宅では滅多に見ることのできない高さと壮大さでイギリス最高峰のパッラーディオ風内装と言えます。
ギリシャ・ローマ彫刻が並ぶ部屋もあります。各部屋には洗練された装飾が施されていますが、絵画は期待した程でもありません。
それでもカナレット、ルーベンス、ヴァン・ダイク、グイド・レーニ、ルカ・ジョルダーノ、ポンペオ・バトーニ、ゲインズバラ等が勢揃い。中でもクロード・ロランは8作ありました。
サロンの壁中央に掛けられたルーベンスの「聖家族の帰還」はヘロデ王による嬰児虐殺を避けてエジプトに逃れていた幼児キリストとその両親がほとぼりも冷め帰還の途に就いているところですが、この主題は珍しい。
初代レスター伯爵トマス・ウイリアム・クックの肖像をポンペオ・バトーニとゲインズバラが別々に描いたものがありましたが、どちらも傑作です。
プッサンと名札の付いた絵が7点あり、最初はニコラス・プッサン(1594-1665)かと思ったのですが、よく観るとプッサンとロランのハイブリッドのように見えます。
これらは全てガスパール・デュゲ(1615-75)の作品でした。デュゲはローマでフランス人の父とイタリア人の母の間に生まれ、生涯イタリアで暮らしています。
姉がプッサンと結婚したので画家の道に入り、プッサンの家に住み込んで修業。初期はプッサンそっくりの絵を描いていましたが、独立後はクロード・ロランやサルヴァトル・ローザなどの影響を受けながら独自の風景画を描いています。
プッサンの死後はプッサンを名乗りました。
18世紀になって、特にイギリスのコレクターに人気が出てイギリスの美術館ではよく見かけます。たいていはデュゲで表示されていますが、たまにプッサンと表示されていることもあるので注意が必要です。
カナレットの甥のベッロットが独立後移り住んだドイツやポーランドでは師のカナレットを名乗って仕事をしていたのと類似しています。ポーランドでカナレットと表示されているのは全てベッロットの作品です。