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美術館訪問記- 470 アールガウ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:アールガウ美術館正面

添付2:ホドラー作
「神聖な時間」

添付3:ベックリン作
「アナクレオンのミューズ」

添付4:フュースリー作
「3人の妖精に囲まれたパーディタ」

添付5:フュースリー作
「夢魔」
デトロイト美術館蔵

添付6:フュースリー作
「グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ」
国立西洋美術館蔵

添付7:レオポルド・ロベール作
「カプリのオレンジ摘み」

チューリッヒとバーゼルの中間辺りにアーラウという人口2万余りのドイツ語圏の 小都市があります。1798年、ナポレオンがヘルヴァティア共和国という傀儡国家を スイスに建国した時に首都とされた町です。 現在は所属するアールガウ州の州都となっています。

ここにあるのが「アールガウ美術館」。

近代的なガラス張りの2階建てで、螺旋形の階段が外から2階まで続いており、 その壁がガラスなのでカタツムリの殻が透明に透けているようで 面白い形をしています。階段の隣に普通のガラス扉があり、こちらが入口。 そうすると螺旋階段は何のためにあるのでしょう。

1階は現代美術の展示です。階段を上り切った踊り場の壁に ホドラーの「神聖な時間」という縦長の油彩画が掛けてありました。

ホドラーの絵に付き物の薄青色のワンピースの女性が一人、中腰で立っている絵。 首を左に傾け、両腕を力無く湾曲しています。何を意味するポーズなのでしょうか。

ベックリンの「アナクレオンのミューズ」は明るい色彩で、 青い空を背景に若い女性がビロードの服を着て微笑んでいます。 「死の島」のようにやや暗い神秘的な絵の多い彼にしては珍しい。

この美術館はスイス人画家の作品を集中して集めているようで、 続いてフュースリーの「3人の妖精に囲まれたパーディタ」がありました。

フュースリーはまだ説明していませんでした。 ヘンリー・フュースリーは1741年チューリヒに生れ、 22歳の時政治的事件に巻き込まれてイギリスに渡り、生涯イギリスで活躍します。

レイノルズの影響の下に修業を続け、 1770年から8年間ローマに住んで古代絵画やミケランジェロに感銘を受けます。

並外れた知識人として知られたフュースリーは、 古典の神話やダンテ、シェイクスピア、ミルトン、北方神話等から広く主題を求め、 それらを介して、恐怖や憎悪、妄執といった人間の根元的な情念を、強迫観念や 幻想性を強く表すエキセントリックな画面として展開し、人気を集めました。

特に1782年、ロンドンのロイヤル・アカデミーで発表した「夢魔」は 公衆に驚きをもって迎えられ、夢や悪魔的な主題を描く画家としてフュースリーの 名声はイギリスはもちろん、ヨーロッパ大陸中に響き渡ったのでした。 この原画に基づく複製銅版画が、その年のうちに出版されたのです。

上野の国立西洋美術館にあるフュースリーの 「グイド・カヴァルカンティの亡霊に出会うテオドーレ」は1783年、「夢魔」に次いで 制作された276 x 313cmという文字通りの大作で初期の代表作の一つです。

常設展示されていますから、いつでも鑑賞できます。

この作品は、17世紀のイギリスの詩人ドライデン翻案の「デカメロン」中の 一物語、「テオドーレとホノーリア」を下敷としています。

恋するホノーリアから冷淡にあしらわれたラヴェンナの青年テオドーレが、 ラヴェンナ郊外の森の中を歩いていると、やはり同じように恋人から 冷酷な仕打ちを受けたため自らの命を断ったグイド・カヴァルカンティの亡霊が、 裸身で逃げ惑うその恋人に獰猛な犬をけしかけているのに出くわす、という場面 です。

文学の絵画化というフユースリーの強い志向を,緊密な構成と古代彫刻研究に 基づいた堅固な人体表現とによって十二分に発揮した傑作と言えるでしょう。

この美術館にある「3人の妖精に囲まれたパーディタ」もシェイクスピアの 「冬物語」からの主題で、シチリア王の娘ながら、 生まれてすぐ羊飼いの子供として育てられたパーディタを幻想的に描いています。

最近紹介したレオポルド・ロベールやクーノ・アミエの作品もありました。



(添付8:クーノ・アミエ作「3つのオレンジのある静物」は著作権上の理由により割愛しました。
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