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美術館訪問記-47 マルモッタン・モネ美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:マルモッタン・モネ美術館外観

添付2:モネの展示室

添付3:モネ作
「雪の中の列車、機関車」

添付4:モネ作
「睡蓮」

添付5:ベルト・モリゾ作
「自画像」

添付6:ベルト・モリゾ作
「桜の木」

添付7:ベルト・モリゾ作
「ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘」

添付8:エドゥアール・マネ作
「横になったベルト・モリゾの肖像」

前回触れた「マルモッタン・モネ美術館」は、 パリの西部、ブローニュの森に隣接する場所にあります。

昔公爵の狩猟用ハウスだったものを美術史家ポール・マルモッタンの父親が購入し、 邸宅に改造したものを、ポールが死亡時に コレクションもろとも芸術アカデミーに遺贈したものです。

1934年開館。 直ぐ前にはラヌラグ公園があり、閑静な住宅街に佇む、 ゆっくりとくつろげる美術館です。

ポールのコレクションには印象派作品は含まれていなかったようですが、 1957年ジョルジュ・ド・ベリオの収集品が、 ベリオの娘のドノプ・ド・モンシー夫人により寄贈され、内容は一新されました。

というのも、ジョルジュは医者で、マネ、モネ、ピサロ、ルノワール、シスレー、 モリゾ等の主治医かつ友人で印象派絵画の収集家だったのです。

この寄贈品の中には、あのモネの「印象、日の出」を含んでいました。

この後、前回述べたように1966年、モネが死ぬまで手元に置いていた 絵画、手紙、写真、その他の遺品が加わります。

寄贈は更に続きましたが、最大のものは1996年、 アニー・ルアールからのものでした。 彼女はウジェーヌ・モネとベルト・モリゾ夫妻の孫のドニ・ルアールの未亡人で、 夫の遺志を継いで寄贈したのです。

こうしてモリゾの作品と遺品が流れ込んだのです。 コロー、マネ、ドガ等の作品も含まれていました。

かくして、今ではモネの絵画107点、素描21点、スケッチブック8冊、 モリゾの絵画・素描81点、スケッチブック7冊を所有。 勿論どちらも世界一の所有数です。

ここはパリの町外れにあるためか、訪問客は少なく、 地下の大広間の壁にぐるりと年代順に掛けられたモネの大量の作品を ゆっくり鑑賞してまわる一時はまさに至福の時間。

2階にはベルト・モリゾの作品群と他の画家達が並びます。

ベルト・モリゾ(1841-1895)はフランス、ブルージュの裕福な公務員家庭の生まれで、 幼少時から教養の一環として二人の姉と一緒に絵を習い、 熱中した彼女はやがてパリでカミーユ・コローの手ほどきを受けるようになります。

23歳でパリのサロンに初入選し、27歳でエドゥアール・マネと知り合い、 彼の助言を受けたり、絵のモデルを務めたりするようになります。 二人の間には恋愛感情もあったと言われますが、明確ではありません。

1874年エドゥアール・マネの弟のウジェーヌ・マネと結婚。 この年開かれた第1回印象派展に唯一の女性画家として参加。 印象派を代表する画家として、8回開かれた印象派展に第4回を除いて 全て参加しています。これはモネの5回参加を上回っています。

印象派の画家達とは親しく交際し、モリゾの死後、娘ジュリーの後見人には ドガとルノワールが詩人ステファヌ・マラルメと共に就いています。

モリゾの、印象派らしい速い奔放なタッチ、軽やかな澄んだ色彩、 女性らしい細やかな愛情溢れる暖かな画面は観ていて心安らぐものがあります。

その他には、世界で僅か11箇所しか作品が残っていない ジャン・フーケの美麗写本やコロー、ドラクロア、ブーダン、マネ、ピサロ、ドガ、 シスレー、ルノワール、ゴーギャン、ロートレック等が楽しめます。

美術館訪問記 No.48 はこちら

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