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美術館訪問記 - 467 ラ・ショー=ド=フォン美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ラ・ショー=ド=フォン美術館正面

添付2:ラ・ショー=ド=フォン美術館エントランスホール

添付3:ラ・ショー=ド=フォン美術館内

添付4:レオポルド・ロベール作
「セッツェの若い女性」

添付5:ホドラー作
「マリニャンの戦士」

添付6:ヴァロットン作
「緑色のスカーフを纏う裸婦」

添付7:ゴッホ作
「乱れた髪の少女」

添付9:マティス作
「庭で憩う女達」

ローザンヌの北北東60㎞余り、フランス国境に接してあるのがラ・ショー=ド=フォン。スイスのフランス語圏では、ジュネーヴ、ローザンヌに次いで、第3位の人口を有する都市です。と言っても4万人足らずですが。

時計産業の中心地として知られており、世界最大規模の時計の博物館である国際時計博物館が設けられています。

国際時計博物館に並んでミュゼ通りにあるのが「ラ・ショー=ド=フォン美術館」。

行くまでは名前すら聞いた事もない美術館でしたが、これが掘り出しもの。

まず他にないシックな赤を基調にした美術館の外観がよいのです。ファサードはその赤を縁取りに、白の大理石で造られ、入口の上部には天馬が駆ける彫刻がありました。

入ると円柱が並び壁にはモザイク壁画が施された重厚な造り。右手奥が特別展用のスペースで、この町出身のル・コルビジェの主要作品の写真が展示されていました。

大理石の階段を上がった2階が常設展示室となっています。天井は曇りガラス張りで、自然光を十分に取り込めるようになっています。

ここで初認識したのがレオポルド・ロベール。1794年、この町で時計職人の家に生まれ、1810年パリに出て版画家の下で修業し、2年後、ジャック=ルイ・ダヴィッドの門を叩き画家としての道を歩み始めます。

一時的に生まれ故郷に戻った後、1818年にローマに移り、肖像画家として成功し、1831年パリのサロンに出展した作品が大好評で、レジオンドヌール勲章を受章。

絶頂期にあった彼は、亡くなったばかりのナポレオン・ルイ・ボナパルトの未亡人シャルロットに恋焦がれてしまうのですが、所詮叶わぬ恋。絶望した彼は最後の大作を仕上げた後、40歳で喉を掻き切り自殺してしまうのです。

ラ・ショー=ド=フォンの中心を貫く大通りには、郷土の生んだロマンティックな画家の名が冠せられています。

この美術館には彼の作品が8点展示されていましたが、ローマで影響を受けたと思われるナザレ派に似通うものを感じました。

他にも印象に残った作品が多数ありましたが、幾つかを採り上げてみましょう。

ホドラーの「マリニャンの戦士」がシンプルな構成ながらバラスのとれたフォルムと赤の色彩が心地よい。

ヴァロットンの「緑色のスカーフを纏う裸婦」は、背景の薄青のストライプと斜めに置かれた茶のビロードの敷物の上に横たわる裸婦の肌、まとった薄いスカーフが鮮烈に映え、目を惹きました。

ゴッホの「乱れた髪の少女」は、濃い青の背景に、空色の上衣を着たオレンジ色の髪の少女(少年のように見えますが)という色彩の対比が強烈で、これぞゴッホという感じです。他にも藁を編む農夫を描いたオランダ時代の暗い作品も1点ありました。

ブラックの「魚のある静物」が軽やかで軽妙。鼻歌が聞こえて来るような絵です。

マティスの「庭で憩う女達」は、後ろ半分はヴュイヤール、前半分がマティスという不思議な感じの絵でした。

この他にもドラクロア、ドーミエ、ユトリロ、スーティン、モディリアーニ、ヴラマンク、ドラン、ルノワール、ピサロ、マルケ、ゴーギャン、コンスタブル、クールベ、グアルディ、ルオー、アンカー、ザッキンの彫刻等が並び壮観です。



(添付8:ブラック作「魚のある静物」は著作権上の理由により割愛しました。
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