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美術館訪問記 - 460 レンヌ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:レンヌ美術館

添付2:ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作
「生誕」

添付3:コルトーナ作
「聖母子と聖マルティナ」

添付4:ルーベンス作
「虎狩り」

添付5:シャルダン作
「プルーンの籠」

添付6:リュバン・ボージャン作
「聖母子と洗礼者ヨハネ」

添付7:リュバン・ボージャン作
「巻菓子のある静物」ルーヴル美術館蔵

添付8:ゴーギャン作
「窓際の花瓶」

添付9:ポール・セリュジエ作
「孤独」

添付10:レンヌ美術館内

15都市の内のフランス最後の美術館はレンヌにあります。

レンヌはフランス西部、パリの西300㎞程にあり、人口22万足らず、古くからブルターニュ地方の中心都市で、モン=サン=ミシェル観光の起点となる街として、日本からも多くの観光客が訪れています。

この街の中心を貫くヴィレーヌ川に面して建つのが「レンヌ美術館」。創設は1794年。現在の建物は昔、大学の校舎でした。

当初はレンヌ市内の教会や公共施設にあった芸術品を集めて展示していました。その後リヴォワ侯のコレクションの寄贈やシャプタルの政令による寄託等によって規模を大きくしていきました。

ここレンヌ美術館の看板となる絵画は、ナント美術館の回でも触れたようにジョルジュ・ド・ラ・トゥール再発見の一因となった彼の「生誕」図です。

「夜の画家」らしい蝋燭の光による静謐な場面描写や光彩表現、極めて精神性の高い人物の心理表現、古典様式を踏襲した立体派的人物構成などラ・トゥール屈指の傑作と言えるでしょう。

暖かな蝋燭の光の中で、生まれたばかりの我が子キリストを見つめるマリアと祖母アンナ。二人の眼差しに幼子への深い愛情を滲ませています。

ピエトロ・ダ・コルトーナの「聖母子と聖マルティナ」も目につきました。彼のこの手の物では最高傑作ではないでしょうか。

コルトーナは建築家でもあり、ローマにあった聖ルカ・聖マルティナ教会を再建する際に聖マルティナの遺体を1634年に発見しています。それだけに聖マルティナにかける思いは人一倍強かったのでしょう。その思いがこの素晴らしい絵を描かせたものと思われます。

聖マルティナはローマに住むクリスチャンでしたが、ある時異教の偶像に額ずくよう命じられてそれを拒み、無理強いされる度に偶像や神殿は地震や雷で破壊されていきました。信心を変えるよう様々な拷問受けましたが、節を曲げず、228年斬首されて殉教しています。

彼女はローマの守護聖人となっています。

ルーベンスの大迫力の「虎狩り」がありました。

ルーベンスが、バイエルン選帝侯マクシミリアン1世から、シュライスハイム城を飾るために依頼されたハンティング4画の内の一つです。

ハンティング4画とは、「虎狩り」、「鰐と河馬狩り」、「猪狩り」、「ライオン狩り」のことで、ナポレオン戦争時に、略奪して来たものです。

この絵はルーベンスがイタリア滞在中に観た今は無きレオナルド・ダ・ヴィンチの「アンギアーリの戦い」を下敷きにしていると言われています。

ダイナミックで勇壮な「虎狩り」とは反対に、静寂に包まれたシャルダンの「プルーンの籠」もありました。

この美術館で初認識したのがリュバン・ボージャンの「聖母子と洗礼者ヨハネ」。一目コッレッジョの作品かと勘違いしたほど、甘美で嫋やかな画風です。

彼は1612年頃にパリの南70㎞程のピティヴィエの裕福な家系に生まれ、画家としての訓練を受け、1629年には画家親方として認められています。

1632年頃にイタリアに向かい、その後ローマに滞在。この時期の彼の作品には、コッレッジョやラファエロなどイタリアの画家たちの影響が見られます。

1641年、パリに戻り、パリ画家組合の一員となり、1643年から1648年頃にはノートルダム寺院のための大作の依頼を受けています。

この頃ボージャンは高く評価されており、1651年には王立アカデミーの会員に選ばれています。しかし、1663年死亡後は急速に忘れ去られていきました。

ボージャンが再発見されるのは、奇しくもジョルジュ・ド・ラ・トゥール再発見後初めて彼のために開かれた1934年の「17世紀のフランス人画家たちの真実」展なのでした。オランジェリー美術館で開催されたこの展覧会でラ・トゥールやボージャンなどの画家たちに注目が集まることになったのでした。

ボージャンはイタリアに行く前には4点の静物画を残しており、これらの静かに瞑想するような存在感が備わっている簡潔で明瞭な静物画は、シャルダンに繋がるその後のフランスの静物画の流れに多大な影響を与えたと考えられています。

ゴーギャンの2点もよかった。1878年と1881年の作でまだ画家になる前の修業中のものですが、画才が認められ、画家に転向する気になったのも、むべなるかなと思える作品でした。

彼に師事したポール・セリュジエの作品もありました。

他にも名の知れた画家が50名以上あり、地方美術館としてはトップクラスの美術館です。