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美術館訪問記-46 クロード・モネ美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:モネの家

添付2:モネの庭

添付3:モネの庭

添付4:モネの水の庭園

添付5:モネの水の庭園

添付6:モネ作
「睡蓮」
メトロポリタン美術館蔵

「クロード・モネ美術館」は、パリとル・アーブルの中間に位置する ジヴェルニーにあります。 モネは1883年43歳の時に、ここに移り住み、後妻のアリスと彼女の連れ子6人、 死亡した前妻カミーユとの間の子、2人、計10人で賑やかに暮らしたのです。

彼はここで絵の傍ら造園に没頭。 9,175㎡の面積を持つ「クロ・ノルマン」(ノルマンディーの囲い庭)は、 今も当時同様、まさに百花繚乱。素晴しい。

モネは晩年、5人の庭師を常時雇っていました。

1893年には隣接する土地を買い足し、 自分で近くの川の流れを引き込んで「水の庭園」を造っています。

長さ60m、幅20mの人工池が造られ、睡蓮が浮かび、 日本から取り寄せた菖蒲や牡丹、柳や竹、種々の木々が植えられ、 小さな緑色の太鼓橋がかかり、その上には藤棚もかけて、 モネが頻繁に描いたとおりの光景が展開しています。

ここはクロ・ノルマンとは道路で区切られていますが、 現在は地下トンネルを通って行けるようになっています。

家の中には至る所に浮世絵が飾られています。その数230点。 江戸初期のものから明治までその収集は多岐に渡り、 モネの日本趣味の深さを窺わせます。

玄関、通路、階段、洗面所を含めたあらゆる部屋に浮世絵を飾り、 毎日それらを眺めながら、浮世絵の美を自分の中に取り込んでいったモネ。

西洋絵画史上初めて水の花、睡蓮を主題として採り上げ続け、 自然の中に息づく命と美を追求したモネの日本人的な美意識は こうして形成されたのでしょう。

アトリエは南向き。これは光の画家モネらしい。 これまで見た画家のアトリエは日中の光の移動に邪魔されないよう、 窓は普通北側に取られています。

モネは1926年死亡。

家と庭は息子のミッシェルが相続しましたが、1966年交通事故で死亡した後、 屋内にあった絵もろともフランス芸術アカデミーに遺贈され、 絵画、文献、写真等は同アカデミーが所有する パリのマルモッタン・モネ美術館に移されました。

アトリエに置いてあるモネの絵は全てコピーでした。

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